「栄誉は私一人だけで得たものではありません。私はとてもラッキーだった。非常に強力な応援団が後ろについてくれて、私が理想を叶え、国のために栄光を勝ち取るのを助けてくれたんです。」
中国共産党第17回大会代表に選ばれた卓球選手の王楠が、記者のインタビューを受けた際、語った内容の多くはやはり、卓球と自分が負っている責任についてだった。
国家を代表する女性卓球選手として、今年29歳になる王楠の人生はまさに奇跡のようで、精彩に満ちている。
「私は本当に幸運なんです。7歳で卓球を始め、運良く厳先生に出会い、基礎から徹底的に指導してもらえました。」
15歳でナショナルチームの一員に選ばれ、それから今までの14年間、彼女の姿が卓球場から消えたことはない。
「私は鄧亜萍よりも長く卓球しているんです。」王楠は笑顔で語った。「国外はともかく、中国では恐らく私以上に長く続ける人はいないんじゃないかしら。」
それだけではない。彼女は、中国初の世界選手権女子シングルス三連覇、オリンピックでの「タイトル総なめ」選手であり、その卓球人生における「タイトル総なめ」選手でもある。これまでに彼女が手にした世界チャンピオンタイトルは、大小あわせて計20に及ぶのだ。これは、鄧亜萍が持つ18という記録を超えている。
こうした数え切れないほどの栄誉をかかえ、王楠の名はかつての中国女子卓球界を代表するものだった。
自らのスポーツ人生を振り返り、王楠の心には花束と拍手、涙と汗が刻まれている。最も忘れがたいのは2000年シドニーオリンピックの時である。まだ若い王楠は女子シングルス及びダブルスの二つの金メダルを獲得し、初めてオリンピックの金メダリストとなった。五星紅旗が高く翻ったその瞬間、気丈な彼女の目から堪えきれずに涙が零れ落ちた。王楠は、あれは喜びの涙だったと後に語った。その時以前にも、世界チャンピオンのタイトルを獲得したことはあったが、この時の金メダルは特別だった。オリンピックの金メダリストとなり国のために栄光を捧げることは全てのスポーツ選手の夢である。それが実現したのだ。
それから二年が経ち、王楠は思いがけず人生で最大の挫折を味わうことになる。2002年に釜山で開かれた第14回アジア大会で、まさに絶頂期にあった彼女は、女子団体のリーダーとして戦ったが、決勝戦で1対3で朝鮮チームにまさかの敗退をし、金メダルを逃してしまった。彼女は自分のミスで2点を失い、前後して金香美・金英姫に負けた。ブーイングがわっと起こり、彼女自身も初めて自信を喪失し、「今にも崩れ落ちそうな」気持ちだったという。
2004年、引退を考えていた王楠は、北京オリンピック参加という夢のために現役を続けることにした。
生まれつき強気な性格と試合で鍛えられた勝利への執念が、彼女を奮い立たせ再び練習場へ向かわせた。王楠はそれまで以上に厳しく練習することによって、世間の非難に応えた。半年後、フランスのパリで行われた世界卓球選手権でのシングル戦で、彼女は釜山でのアジア大会の失敗から完全に脱却し、一人で三つの金メダルを獲得し、女子選手に与えられる金メダルを全て手にした。これによって世界に向かい、自分は決して“あきらめていない”ことを証明した。
「王楠の精神力には感服する」遼寧卓球女子チームのヘットコーチの谷振江は語る。“王楠の精神”はいまや中国女子卓球チームのエネルギーの源となった。
王楠は、こう語る。「卓球は私に多くのことを教えてくれた。」人生の浮き沈みを経験した王楠は、よく自らを省みることにより日に日に成熟していった。「栄誉は一時的なものに過ぎない。ただ国が私を必要とする限り、私はいつでも北京オリンピックに参戦し、国のために栄光を勝ち取る準備は出来ている。」そのために、彼女は引退時期を北京オリンピック後まで延期し、ご主人との甘い生活もあきらめ、試合に備えているのである。彼女の目下の最大の課題は、北京オリンピックのメイン会場に立った時、いかにして巨大なプレッシャーに向き合い、実力を発揮するか、ということである。「去年から私の状態は上向きなんです。」
王楠は現在、選手とコーチという二つを兼任している。その眼で北京オリンピックの最後の試合を見終えるまでは、たとえ何があろうと引退はしない。ただ最終的に誰が試合に出るのであれ、中国が金メダルを取るために、自分の力を役立てたい、というのが彼女の望みである。
「何といっても我々は卓球強国です。私は心の底から中国が永遠に世界一であることを望んでいます。」
「チャイナネット」2007/10/11