チベットは従来から、中国の領土の一部である。1279年に、チンギス・ハーンが統一の中央政権を打ち立て、それ以来、チベットは元朝の朝廷が直接管轄する行政区域となった。その後、中国では、何回もの王朝の交代があったにもかかわらず、チベットはずっと、朝廷の管轄下に置かれていた。1644年に、清朝が明朝に取って代わってから、チベットに対する管轄はさらに厳密なものとなり、施政は制度化、法律化されるようになった。現存している清代の郵便切手は、この事実を端的に立証している。この切手には、ラサの郵便スタンプが押印されており、それには、漢語とチベット語、英語で「ラサ」という文字がプリントされている。押印の期日は1911年6月17日。この郵便スタンプは、いわゆる「中国が1959年にチベットを侵略した」という説へのこのうえない反証となっている。
この切手の背景は、1910年に、清朝の郵政部門がチベットに郵政区を設け、その総局をラサに置き、鄧樹屏氏を局長に任じた。その後、江孜(ギャンツェ)、帕里克、日喀則(シガツェ)、亜東(ヤー・ドン)、察木多(チャムド)に郵便局を設けた。チベット郵便局が設立された際、全国統一額面金額のロンドン版すかし模様なしの竜の模様の切手を使用した。ところが、当時、チベットではチベット銀貨とインドのルピーが一般的に使われていたので、この切手の発売は不便なものであった。現地の需要に応じるため、1911年3月に、チベット専用のロンドン版の竜の模様の切手が発売されるようになった。これらの切手は、すかし模様なしの竜の模様の切手に、漢語、英語、チベット語の黒い文字がプリントされ、それぞれ銀貨、ルピーとチベット貨幣の三つの貨幣を代表するものであり、チベット内部のみで使用されることになっていた。1シートは11枚(1分、2分、4分、7分、1角、1角6分、2角、3角、5角、1元と2元)からなっており、イギリスのロンドンのワールド社も押印した。
「チャイナネット」2008年4月28日