辛亥革命の余韻 創業100年の在日中華料理店

辛亥革命の余韻 創業100年の在日中華料理店。 東京の著名な書籍街・神保町付近の細い路地の中に、辛亥革命が起こった1911年、顧宣徳さんという老華僑が創業した老舗中華料理店「漢陽楼」はある…

タグ: 漢陽楼,中国,孫文,同盟会,辛亥革命,孫文粥

発信時間: 2011-09-22 11:04:49 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

東京の著名な書籍街・神保町付近の細い路地の中に、上海から海を渡った古参華僑の創業から100年を迎える老舗中華料理店「漢陽楼」はある。表通りにはなくとも、酒の香りに誘われてやってきたお客たちで、「漢陽楼」は連日の大にぎわいをみせている。ウェブサイト「日本新華僑報網」が伝えた。

「漢陽楼」1階のエントランスに入ると、力強く揮毫(きごう)された掛け軸が客を迎える。「大江歌罷棹頭東,邃密群科済世窮。面壁十年図破壁,難酬踏海亦英雄(遙か異国を想う詩を船に乗せ、祖国を救うために先進を学ぶ。人生の理想を求め、海を渡り英雄をも構わん)」。当時はまだ若き青年だった中国の周恩来元総理が日本渡航時に詠んだ決意の詩、圧巻の出迎えだ。主人に尋ねると、周元総理がしたためた詩が掲げられたこの中華料理店は、辛亥革命が起こった1911年、顧宣徳さんという老華僑が創業した。

漢陽楼は当時、主に中国からの貧しい留学生に食事と宿泊を提供していた。いち早く日本に留学した周恩来・青年も漢陽楼の支援を受けた。

2代目料理長の和田康一さんは「当時は近代化の先進的成果を学ぶため、中国から多くの留学生が日本に来て、神保町に集まっていました。周恩来先生も1917年に神保町にいらっしゃったことがあります。先生の日記の中に私どもの店の名前があったと聞きました」と明かした。3代目主人の林松英さんが亡くなってから、和田さんの父が初代料理長に就任、1977年に4代目主人となった。

「漢陽楼」という店名は「漢族は陽光きらびやかに光り輝く民族」が由来。孫文率いる同盟会メンバーが名付け役を申し出た。開店も辛亥革命の成功後で、同盟会メンバーが中国帰国後に奔走した。

店主は既に日本人に替わったが、店内は伝統の創業当時の風格を留め、料理の味も変わらない。漢陽楼のメニューを開けると、周元総理が最も愛していた家庭料理「清トン獅子頭(肉団子のスープ)」「寧波豆腐(焼き豆腐)」が真っ先に目に飛び込んだ。和田さんによると、メニューに「孫文粥(かゆ)」があり、常連客の人気は高く、長年にわたり愛され続けてきた。このお粥は初代主人・顧宣徳さんが思いついた。当時、孫文先生は日本で中国革命活動に従事、生活が不規則で胃腸不良だったため、顧宣徳さんはこの知らせを聞き、「孫文粥(かゆ)」を考案したという。このお粥で、客は一挙に大入りとなった。

*トンは火へんに「屯」

「人民網日本語版」2011年9月21日

 

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