中国の宇宙ステーション実験機「天宮1号」の打ち上げに世界が注目している。中国人と同様、テレビで打ち上げの生放送を見た外国視聴者もいた。各国メディアの反応は全般的に正常で、打ち上げを客観的に評価するもの、中国の科学技術に進歩を祝福するもの、対中協力に一層の積極姿勢を示すもの、自国の地位が脅かされることへの懸念を表明するものなどがある。
最も懸念しているのは当然米国だ。グリフィン元米航空宇宙局(NASA)長官は先日公聴会で「彼ら(中国)はわれわれとほぼ実力の伯仲する競争相手だ。われわれが最早全ての人から世界のリーダーと見なされなくなるとすれば、米国の未来を非常に心配せざるをえない」と述べた。
最大の発展途上国と最大の先進国の実力が伯仲するわけがない。専門的視点から見ても、中国による宇宙飛行技術の探求と米国のリーダーシップとの間に余り大きな関係はない。
米国人は憂患意識が強く、相手の実力を誇張することで自国を刺激することにも慣れている。ただ中国という競争相手は大きすぎ、発展のスピードも速く、文化や政治制度の面でも米国と大きく異なる。こうした全ての要素が重なり合って、天宮1号の打ち上げが「刺激的な」ニュースとなり、さらには世界構造の変化とも結びつけられてしまう。中国の発展のいわゆる「不確定性」は、こうして人為的に作り出されたものであることが多い。
米国人が自ら作り上げた憂患には一定の危険性が潜んでいる。中国の正常な発展を自国への挑戦と見なすことによる負の効果は、中国の発展の意図を曲解することだけではない。米国の一部の専門家は「米国が本当に中国をライバルと見なせば、最終的に中国はそうなるだろう」とやや心配げに指摘している。