日本の外交は近年、数年前の「自由と繁栄の弧」、「東アジア共同体」、そして野田政権の「価値観外交」と、ころころ変わっている。しかしよく見ると、現在の「価値観外交」は「繁栄の弧」がないだけの「自由の弧」の外交であることがわかる。
北東アジアの冷戦後の処理はまだ終わっておらず、冷戦の橋頭堡となった日本が、このような状況下で「冷戦思考」中心という特徴のある外交政策をとるのも必然的である。例をあげると、「自由の弧」とは価値観の異なる国に対して包囲網を作ること、「繁栄の弧」とは、中国などの新興国の発展にもたらされた利益を得ることだ。今回日本の外交が「価値観外交」に戻ったのは、米国のアジア回帰の動きとも関係があり、実際に冷戦思考へ向かっていることが明らかだ。
東南アジア諸国連合(ASEAN)にとって、「価値観外交」を各国の異なる体制、宗教信仰、価値観を超えて作られた共同体に組み入れれば、違いを尊重しながら共同点を探ることはできず、矛盾と分裂を生じさせ、ASEANを戦いの場にすることになる。そうなれば、景気回復に外部の力が必要な日本にとって不利となる。
中国にとって、包囲、制約、制裁は新鮮なことではない。新中国はこのような環境の中で成長してきたためだ。1980年代末、中国はあらゆるところから包囲と制裁を受けた。当時、日本にも中国は「崩壊」「分裂」するという見方が多くあったが、日本の政治家はすぐに包囲と制裁は中国に不利なだけでなく、日本にも不利で、その上アジア太平洋の安定した発展にも不利だと気がつき、西側の大国で最初に中国に対する制裁を解くことを決め、西側諸国で最初に指導者が訪中した大国となった。中国人がこれを忘れることはない。日本は冷戦後、外交政策の独立について考えたこともあったが、一部の政治家の頭の中には冷戦構造がまだ残っていた。回復のチャンスを待ち望む日本にとって、当面の急務はどのように東アジア地域一体化を利用して自国の景気回復を促進し、地域内の各種の資源と経済協力の調和を強化するかであり、東アジアで「価値観外交」を行うことではない。
冷戦後、米国、中国、日本の力関係は変化した。そんな中、日本は「東アジア共同体」を唱えずに「価値観外交」を積極的に進めている。しかし、対中包囲網の構築が日本の当面の急務であるかいなかは別として、他国が心から支持してくれるかどうかが問題である 日本は本当にこの問題を考えたことがあるのだろうか。2007年に「自由と繁栄の弧」が提案された後、政策に疑問を持つある著名人は、「自由と繁栄の弧」は絵に描いた餅で、焦って食べる前にどうして食べるのかを考えるべきだと述べた。この言葉は、「価値観外交」に力を入れる日本にとって一考する価値があるのではないか。(中日関係史学会理事 中国駐大阪前副総領事 韓佐民)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年11月18日