西元氏はまた、1993年に陸上自衛隊参謀長を担当した期間、カンボジアに派遣したPKOの自衛隊に銃を持たせ、道路上のパトロールという名目で選挙監視員を護衛した。日本の当時の「PKO協力法」では、正当防衛及び緊急避難以外、海外の日本自衛隊の武器使用を禁止していた。こうした「将在外,君命有所不受(前線にいる指揮官は、たとえ皇帝の命でも、場合によってそれに従わなくてよい)」という考え方や行動が常に戦争の導火線となる。
注目に値するのは、自衛隊を退役して16年になる同氏は今でも陸上自衛隊の幹部学校に在職し、教壇で「指揮官とはどうあるべきか」と教えていることだ。10~11年には防衛大臣補佐官も担当し、まだ「余熱」を残している。
08年5月の「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」の第4項で、「双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認する。互いの平和的な発展を支持することを改めて表明」したが、日本の前軍幹部の文章からは、日本の軍政の不一致および政界の言動の不一致が見て取れる。中日両国が「良き隣国、良きパートナー」となるにはまだ相当な時間がかかるだろう。(日本新華僑報 蒋豊編集長)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年2月8日