1963年12月26日、中南海で娘夫婦の李敏・孔令華氏と記念撮影する毛沢東主席
1947年、李敏氏は母親の賀子珍氏と共にソ連から中国のハルビンに戻った。そのときの李敏氏はあまり中国語ができなかった。毛沢東主席は李敏氏を北京に戻そうと部下をハルビンに派遣したが、李敏さんは自分と毛沢東主席の関係を疑い、ロシア語で毛主席宛に手紙を書いた。手紙は「毛主席へ:あなたが私の実の父親であるとみんなが言っている。しかし、ソ連にいたときにあなたに会ったことは一度もなく、私もよくわからないが、あなたのところに戻るためにも詳しいことを教えていただけないでしょうか」という内容だった。