資料写真:旧ソ連のTu-16爆撃機
1987年12月9日10時30分、海上自衛隊のレーダーは突如、4機の国籍不明の大型機の信号をキャッチし、旧ソ連のTu-16爆撃機であることを確認した。15分後に日本のF-4EJ戦闘機(計4機)が2回に渡り、沖縄那覇基地から緊急発進した。日本機は離陸後まもなく無線を通じ、英語とロシア語により旧ソ連の爆撃機に警告を出し、日本の領空から離れるよう呼びかけた。11時10分、Tu-16の3機は離れたが、残りの1機は不審な動きを繰り返した。自衛隊の2機のF-4EJは領空から離れていく旧ソ連機を尾行し、残りの2機は観察を続けた。
11時20分、残された1機のTu-16は多くの米軍が駐留する沖縄本島に接近した。口頭による警告に効果がなかったため、自衛隊南西航空混成団は警告射撃の実施命令を出した。旧ソ連機は4分後に沖縄の領空に入った。日本側はF-4EJの機関砲から複数の曳光弾を撃ち、一度目の警告射撃を実施した。旧ソ連機は方向を変えたが、焦った様子は見られなかった。7分後、最後の1機が日本の領空を離れた。しかし10分後、旧ソ連機が再び沖縄の北に位置する徳之島上空へ侵入した。日本機はこれを受け、二回目の曳光弾射撃を実施した。4分後、同機は日本の領空を離れた。
本件は直ちにメディアによって取り沙汰され、自衛隊がきまりの悪い立場に置かれた。当時の竹下登首相は、旧ソ連当局に抗議すると表明したが、日本機による射撃は旧ソ連機の撃墜を目的とするものではなかった、とソ連側に表明した。日本側からの情報によると、1987年の1年間だけで、旧ソ連機が日本の領空を20回に渡り侵犯した。しかし日本は12月9日の事件において、上空での阻止を始めてから33年間で初の警告射撃を実施した。
旧ソ連側は1か月後、問題となったパイロットを厳罰に処したと日本側に通知した。日本政府はこれを落とし所とし、旧ソ連側の説明を受け入れ、本件にピリオドを打った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年1月17日