これほど明白な事実を前に、これらのメディアの報道は偽善的であるだけでなく、偏見に駆り立てられて冷酷な面構えをさらけ出している。これらのメディアは「人権」を口にしていたのではないのか?血の海に倒れた無辜の命を目にしたのだろう?報道の中で被害者の人権に対する関心を少しでも見せたのか?こうした事がもし米国で起きれば、死者の数がずっと少なくても、事件の性質をどう報じるだろうか?「テロリスト」という表現を使うのにこんなにためらうのだろうか?
偏見は米国の一部の者が中国の新疆問題を観察する際の痼疾となっている。記憶に新しいのは、少し前に米政府が中国の反対を顧みず、グアンタナモ基地に拘禁していた中国ウイグル族の最後の囚人3人をスロバキアに引き渡したことだ。これらの容疑者は国連安保理が認定したテロ組織「東トルキスタンイスラム運動」のメンバーであり、正真正銘のテロリストだ。だが米国に危害を与えない限り、彼らは「テロリスト」ではないというのが米国のロジックだ。長年にわたり米政府は新疆独立を叫ぶ人々による様々な血腥い事件を「テロ事件」と呼ぼうとせず、中国の全ての行いを非難してきた。新疆独立を叫ぶ人々に対する米政府の黙認姿勢が、その気焔を増長させたことは間違いない。昆明駅で起きた惨劇を受けて、米国のメディアと政府はより深く反省すべきではないのか?
テロとテロリスト問題における、米国および一部西側メディアのダブルスタンダードは他者を傷つけ自らも利さないものだ。石を持ち上げて人を害していては、いつ自らの足元に石が落ちてくるとも知れない。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年3月4日