米国務省はこのほど、いわゆる「対等の原則」を口実とし、在米中国メディア5社の中国人従業員の人数に制限をかけた。間接的に中国メディアの記者を排除した。この措置は世界の報道の歴史における極めて稀な「記録」を樹立した。報道の自由の「モデル」「保護者」を自ら標榜する米国に落とすことのできない汚点を残した。
米政府の意思決定者はこれをまったく意識していないわけではない。そのためメディアからの質問に対しては、「これは単なる人数制限であり排除ではない」と答える一方で逆ねじを食わせ、「中国が在中外国人記者の報道の自由を制限している」と攻撃を繰り返している。中国人記者に対する自国の横暴かつ理不尽な圧力・規制にありもしない口実を設けようとしている。
悪人は先手を打って訴えるものだが、事の真相を隠すことはできない。声を大にしても道義的に有利になれるわけではない。米国務省は今回、中国メディアに攻撃を仕掛けたが、これはかねがね企んでいたことだ。在中米国公館はこれまで中国人記者の訪米ビザの申請に対して、何度も冗長な「行政審査」を行ってきた。記者の訪問もしくは随行を申請する家族も対象とした。
今回の正式な「急襲」において、国務省は法的根拠や正確な手続きなどをかなぐり捨て、さまざまな不合理なことをやってのけた。例えば中国メディアを「外交使節団」に指定しながら、在米中国人記者にいかなる「外交待遇」も与えないとし、かつ「メディア類ビザ」としてこれらの記者の管理を続けようとしている。さらに中米両国の航空便に大規模な欠航が生じていることを知りながら、極めて短期間内に数十人の中国人記者を早急に米国から退去させようとしている。良識ある米国人はこれらについて、「信じがたい」と表明している。
米国の法律、記者の道徳を遵守し、客観・公正・真実・正確の原則に基づき報道を行う。在米中国人記者が今も昔も変わらずこのようにしてきたことは周知の事実だ。中国人記者は米国で価値観を押し付けようとせず、また特ダネやスクープを求めようともしていない。彼らの報道は歴史と時間の検証に耐えることができる。
残念ながら米国側は事実を無視し、独断専行し、横暴で道理をわきまえない。中国メディアの報道に問題がある証拠を手にしているかと記者から聞かれると、「その必要はない」と答えた。「国有メディアを持つ国は多いが、中国メディアだけに圧力をかけるのはなぜか」という質問については、さらに露骨に「今回は中国を念頭に置いている」と答えた。
独断専行する米国側の強硬な態度、高圧的な手段からは、その裏にある弱さ、自信のなさが透けて見える。報道の自由を含めたいわゆる「普遍的な価値」はかつて、米国が世界に価値観を輸出し「ソフトパワー」を示すための切り札になった。ところが今や米国は実力と自信、体制の自信を失い、価値観に侵されることを妄想するほどになった。さらには他国の多くの記者を追い出すことで萎縮効果を発揮し、外部世界の米国に対する報道・認識の「隔離壁」を構築しようとしている。
米政府の中国メディアに対する圧力は事実上、自国の問題解消になんら資さず、かつ米国の同業者を含む世界のメディアに信義が失われたというシグナルを発する。これは墓穴を掘るようなものだ。米国側が現在最もすべきことは、中国メディアに差別的なレッテルを貼り、中国人記者の数を制限し、在米中国人記者にビザの障害を設けるといった間違ったやり方を直ちに是正し、在米中国人記者の合法的な権益を守ることだ。過ちに固執し、間違った道を歩み続けるべきではない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2020年3月18日