▽親を愛するように人民を愛する党総書記
習近平氏は1974年、陝西省の梁家河村で中国共産党に入党した。その時から中央委員会総書記になるまで38年かかった。
陝西省安康市平利県老県鎮の小学校を訪れ、貧困脱却に向けた取り組みを視察する習近平氏。(2020年4月21日撮影、北京=新華社記者/謝環馳)
1969年、16歳にもならない彼は、梁家河村の生産隊に入った。その後の7年間は、黄土高原にあるこの小さな村で過ごした。村の人たちと窰洞(ヤオドン、洞穴式住居)に住み、粗末な雑穀を食べ、ノミのたかる寝床で眠った。
習近平氏は入党して間もなく、梁家河村生産大隊の党支部書記となった。当時、習近平氏と一緒に仕事をした村の幹部は、彼のことを「着実な仕事ぶりで、自分なりの考えがあり、大衆や幹部を団結させることができた」と語る。
北京の中国共産党歴史展覧館で「『初心を忘れず、使命を銘記する』中国共産党歴史展」を視察した後、党員指導者の先頭に立ち、改めて入党の宣誓を行う習近平氏。(6月18日撮影、北京=新華社記者/李学仁)
1975年、習近平氏は生産大隊党支部書記の職を離れ、北京に戻り大学へ進学した。卒業後は中央軍事委員会弁公庁で務めた。その後は河北省に赴き、正定県党委員会副書記、さらには書記を務めた。
「1982年、私は中央機関から再び末端、大衆の中に入ることを自ら望んだ。親を愛するように人民を愛すると言った」。習近平氏は当時をこのように振り返る。
その後は、沿海部の福建省、浙江省、上海市で役職を歴任した。彼はどこへ行っても人民との緊密なつながりを保つことができた。
中国浦東幹部学院の劉靖北(りゅう・せいほく)副院長は「この(人民を中心とする)気持ちこそ、彼が新型コロナウイルスの襲来時に、いかなる代償も惜しまず人の命を救う考えを示した根底になっている」と語った。
2007年、習近平氏は党中央に移り、中央政治局常務委員、国家副主席を務めた。党建設、組織活動、香港・マカオ、北京五輪の準備などを担当した。
河北省阜平県竜泉関鎮駱駝湾村で貧困農家をねぎらう習近平氏。(2012年12月30日撮影、北京=新華社記者/蘭紅光)
2012年、中国共産党第18期中央委員会第1回全体会議で、59歳の習近平氏は中央委員会総書記に選出された。
総書記就任から1カ月余りで、習近平氏は厳冬の中、河北省の貧困県、阜平県を訪れた。農家に足を踏み入れ、農民らに生活状況を尋ねた。その時彼は、一部の村民の暮らしが苦しいのを目にし「気持ちが重かった」と語っている。