▽国家を強くする戦略家・実務家
中国共産党が1921年に設立されたのは、1840年のアヘン戦争後に中国が徐々に半植民地・半封建社会へ転落し、弱者や貧困者が虐げられていた状況を変えるためだった。
習近平氏は、中央委員会総書記に選出されてわずか2週間で、中華民族の偉大な復興を実現するという「中国の夢」を打ち出した。今年10月に開かれた辛亥革命110周年記念大会で行った演説では、35分間で「復興」に25回言及。この日の演説で最も多く使われた言葉の一つとなった。
習近平氏は民族復興について、戦略上の設計も必要だが、一心不乱にまい進することも必要だと考えている。彼自身も率先して垂範する。2019年を通じ、メディアが公に報じた習近平氏の重要活動は500回を超えた。うち土日に報道されたものは約30週間に上る。重要な改革案の原稿はすべて、自ら一字一句修正した。
彼は「幸せはすべて、奮闘により生み出すものだ」と言った。
習近平氏は一次資料を入手するため、田畑や漁村、農家、庶民の家庭、小さな食堂、スーパー、製造工場、民間企業、科学実験室、病院の病室、大学・小中高校、さらには農家の豚小屋やトイレにも姿を見せた。
9年間で、危機一髪の経験をしたことも少なくなかった。
2015年初めにイエメンの治安情勢が突然悪化し、中国公民数百人が足止めされた際には、海軍護衛艦隊に直ちに在留公民の救出に向かうよう果断に命令した。
米国が中国に対して立て続けに貿易戦争、科学技術戦争を引き起こした時には、「戦いたくないが、戦いは恐れず、必要な時には戦わざるを得ない」という戦略を打ち出した。
同時に「対話と協力の強化は両国の唯一正しい選択」とも述べ「広い太平洋には中米両大国を受け入れる十分な余地がある」と語った。
湖北省武漢市の「火神山医院」指揮センターで、テレビ通話を通じて患者と医療従事者をねぎらう習近平氏。(2020年3月10日撮影、北京=新華社記者/鞠鵬)
釣魚島海域の常態化パトロールの実現からいわゆる「南中国海仲裁事案」の撃破、中印国境紛争の解決推進から不法拘禁された中国公民の帰国に至るまで、習近平氏は自ら戦略と戦術の配置を行い、さらには自らも参与した。
2019年に香港で暴動が起きた際には、「一国二制度」の擁護を指揮し、「反中乱港(中国に反対し香港を混乱させる)」勢力の「カラー革命」の企みを粉砕した。
新型コロナウイルス感染拡大後の2020年旧暦大晦日(1月24日)には一睡もできず、翌日に中央政治局常務委員会を招集し対策を検討した。その時点で、彼は既に、湖北省と武漢市に対して人の移動と外部への通路を厳格に封鎖する交通管理を実施する決定を下していた。事実はこれが唯一の選択肢だったことを証明している。
習近平氏はかつて、外国要人の質問に対し「これほど大きな国となれば、責任は非常に重く、仕事も非常に困難だ。私は無我となり、人民に背かない。中国の発展のために自らを捧げる」と答えている。
中国共産党第19期中央紀律検査委員会第5回全体会議で重要演説を行う習近平氏。(1月22日撮影、北京=新華社記者/李学仁)