頤和園徳和園扮戯楼で「南遷文物展」が開かれた。戦火に見舞われ南に移された73点の国宝が公開された。うち30点弱は60数年ぶりの公開となった。
扮戯楼の展示ホール内には、明代の蟠虺紋簠、宋代の嵌松石方勝紋方鼎、清代・康熙時代の黄地素三彩花卉雲龍紋折沿盤、清代・乾隆時代の御題翠雲岩青金石山子、清代・嘉慶時代の斗彩纏枝花卉紋尊など、頤和園の数十点の文化財が陳列された。これはいずれも南に移され残された文化財だ。
文化財が南に移されたのは、1930-40年代のことだ。その時間の長さ、移された地域の広さ、文化財の数の多さは、世界でも極めて稀なほどだ。
九・一八事変(満州事変)勃発後、日本の侵略者は東北地区を併呑し、華北に目を向けた。故宮博物院は1932年秋に文化財を選び、分類別に箱詰めした。頤和園の文化財は1933年3-5月の間に3回に分け、故宮の国宝と共に南への移動を開始した。10数年の流浪の末、これらの国宝は抗戦勝利後の1947年末に南京に移された。解放戦争の勝利に伴い、南に移された頤和園の一部の文化財が、1950年前半に北京に戻された。
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