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全国に「日光温室」を推し進めた農民の王楽義さん
発信時間: 2009-08-03 | チャイナネット

 

真冬のキュウリ

1988年の春節前、ある親戚が大連からトゲの付いた新鮮なキュウリを持ち帰ってきた。「これこそ豊かになる方法ではないか」。寒い冬の新鮮なキュウリは王さの目を開かせた。

このキュウリが遼寧省の瓦房店市で栽培されたことを知った王さんは、春節が終わるとすぐにその栽培方法を学びに出かけた。1回目は門前払い。2回目も何も教えてくれなかった。しかし王さんはあきらめず、再び1カ月後にその小さな山村を訪れた。

「何を考えているのか」と村人が聞くと、王さんは「自分たちの村は貧しく、技術を学んで村民たちを豊かにさせたい」と答えた。この王さんの言葉は村人の心を打ち、「あなたの故郷の人たちへの気持ちを汲んで、今回に限って技術を教えよう」と、王さんは厳寒の中で1カ月間、苦労してこの新しい技術をマスターした。

村に戻ってからは地元の自然条件に合わせて実験を繰り返し、真冬でも加熱の必要のないビニールハウスの建設に成功。翌年にはその数も144棟になり、農家一戸あたりの収入が1万元増加した。

 

全国の農民のために技術を普及

野菜を栽培するビニールハウスの成功は、寿光市だけでなく山東省、そして全国の注目を集め、王さんを顧問として招くために多くの地方の人が三元朱村を訪れ、この技術を学んだ。

外部の人にこの技術を教えたことを知った村民たちは、申し合わせたように王さんを訪ねた。「苦労してやっと手にし、みんなのために探し出した『金のカギ』を簡単に人に教えてはいけない。3年間待って自分たちが儲けることができるようになったらもう一度考えよう」

しかし王さんは心の中で、「自分たちが豊かになったからといって、全国の農民を忘れてはいけない」と、ビニールハウスの技術を必ず普及していくことを決めた。

1990年に王さんは寿光市だけでも約4万キロを駆け回り、5130棟のビニールハウスを指導して建設。そして翌年にはさらに1万棟のビニールハウスの建設を指導した。

現在、寿光市の野菜を栽培するビニールハウスの面積は約4万ヘクタールにまで増え、名実ともに「中国野菜の郷」である。王さんはこの十数年、長江以北の11の省や直轄市、自治区の農家に足を伸ばし、余すところなく技術を教えてきた。

1993年5月、新疆ウイグル自治区から朱村を視察した人が王さんにこう言った。「新疆では1年うち8カ月は他の場所から運ばれてきた野菜を食べています。どうかビニールハウスの建設を手伝ってもらえないでしょうか」

2カ月もしないうちに王さんは6人の技術者と一緒に新疆のハミ地区に行き、翌年にはさらに42人の技術者を連れて再びこの地を訪ねた。そしてわずか数年で、ビニールハウスは天山山脈の南北でも見られるようになり、新疆の人たちは野菜をほぼ自給できるようになった。

 

王さんが敬愛される理由

他の地域から見学に来た人たちを王さんはとても親切にもてなす。この数十年、全国各地からは70万人の見学者が訪れ、2700人余りの技術者を養成した。特に貧困地域から来た人や困難な人には真心を持って協力した。「野菜の栽培技術だけでなく、人としてどうあるべきかということを学びました」。これは王さんの教えを受けた人たちが故郷に帰って王さんに書いた手紙の一部だ。

王さんが人々から敬愛されているのは、野菜栽培の奇跡を起こしたことだけではなく、高尚な人格と無私な貢献の精神があるからである。

「チャイナネット」2009年8月3日

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