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南京熊猫機電公司で「5ゲン主義」を講義する「クボタ」蘇州工場の中居俊雄・総経理(写真提供・南京熊猫機電公司)
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「改革・開放」以後、中国には多くの外資系企業が進出した。商品を生産すれば、膨大な部品が必要となる。その部品を現地で調達するのが望ましいが、品質が悪ければ製品の質に影響が出る。いかにして優良な部品を現地で入手するか、これは外資系企業の共通の悩みである。
そんな中で、日本の巨大農機具メーカーが約10年、中国に進出し、中国の部品メーカーと契約した。当初、日本側の厳しい要求に中国側は戸惑ったが、それを乗り越えて成長し、日本側が満足する部品を提供できるようになった。それだけでなく、いまや「本社と下請け」という関係を脱し、「戦略的パートナー」の関係にまで成長した。
世界企業ランキング500に名を連ねる「クボタ」と中国の部品メーカー「南京熊猫(パンダ)機電公司」は、こうした中日の補完的な経済関係を築いた一つの典型である。
見たこともない設計図
1997年末、「南京熊猫機電公司」は、「クボタ」が上海で開催した「中国生産推進会」に参加した。そこで自脱コンバインのホッパー部などのいくつかの製品の部品の試作に挑戦することになり、設計図を持ち帰った。しかし、技術者たちは設計図を見てびっくりした。巨大な組み立て図だけで、一つ一つの部品の青写真がなかったからである。
「南京熊猫機電公司」はこれまで外資系企業の部品を製作したことはなく、日本企業の設計図にも不馴れだった。技術者たちは四苦八苦しながら、その設計図に挑んだ。「よく見ろよ。間違えたら国際問題になるぞ」というのが合言葉となった。
数カ月後、試作品は完成し、5件のサンプルが日本に送られた。日本での検査の結果、どのサンプルの評判も良く、とくに自脱コンバインのホッパー部は日本の製品より優れた面があった。
1998年、「クボタ」と「南京熊猫機電公司」の正式な協力関係は始まった。しかし最初は「クボタ」側の生産量が少なく、部品の国産化も進まなかった。しかも発注が増えるにつれ、「クボタ」側の品質に対する要求はますます高くなった。しかし、「南京熊猫機電公司」の品質管理は従来のままで、不合格品が多数出た。
このため「クボタ」側は技術者を派遣して技術指導を行った。とくに作業の細分化、検査機器の扱いなどで細かく指導を行った。その結果、「南京熊猫機電公司」の生産方式に新風が吹き込まれ、その後の発展の基礎となった。
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