「中国が世界の今後を左右し、中国が世界の経済後退からの脱出を導く」と、全世界は口をそろえて言う。国内の実情を見ると、これは「敵は本能寺にあり」という戦略であることが考えられる。こういうとき、冷静な目で見ることがより重要となる。
歴史は繰り返されるものだが、簡単な繰り返しではない。当時、日本を狙い撃ちした際の打つ手を振り替えて見ると、憂慮が強まる。目標は同じだが、手段は違う。
日本は狙い撃ちされる前、2850億ドルの米国資産と証券資産があり、3290億ドル超の米国銀行業の資産(米ドルの銀行資産の14%を占める)、カリフォルニア州銀行業資産の25%以上とその未返済貸付の30%を保有していた。また、米国に保有する不動産はEC全体より多く、米国債の30~34%を購入し、ニューヨーク株式市場の1日の取引量の25%を占め、米国市場における20%の半導体部品、30%以上の自動車、50%以上の旋盤、大部分の消費類電子製品とその他数十種の商品とサービスは全て日本が提供するものだった。以上の実績は、2009年の中国が到底越えられるものではない。
日本経済を叩き潰したのは「金融戦争」だった。日本の為替レート体系が壊滅的な打撃を受けたことは、日本経済が次第に深淵に陥ることを意味するものだった。日本円の切り上げは、この「金融戦争」の起爆剤となった。1985年9月、米、独、英、仏、日の5カ国はニューヨークのプラザホテルで「プラザ合意」に調印した。プラザ合意は、日本の最近数年の対米貿易黒字が増えていることから、日本円を切り上げ貿易の不均衡を緩和することを目的としたものだった。日本政府のプラザ合意の調印は、同時に全世界に向けた日本円切り上げの報告となった。こうして、大量のホットマネーが日本に流入し日本円が買われ、日本円は2年以内に2倍にまで上昇した。ここに来て、日本の製造業輸出はダウンし、深刻な赤字となった。
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