1963年6月29日、中日双方は北京で、総額73億5800万円の日本の合成繊維製造設備導入に関する契約を取り交わした。最初の設備貿易取引の成立によって日本のメーカーは日中貿易に対する自信を強め、中日「ランの花外交」は大きな成功を収めた。
この時のランの花とは関係のないランの花代表団の訪日は、中日関係がその後発展していく上で深遠な意味をもっている。合成繊維製造設備の導入は、当時の中国の衣料不足問題を解決するのに重要な役割を果たした。代表団が接触した日本の政治家はその後、日本の政界の重鎮となった。園田直氏は官房長官、外務大臣を歴任、河野一郎氏は衆議院議長となった。彼らは日本政府が最終的に中日国交正常化の決定を下す段階で極めて重要な役割を演じた。
ランの花代表団の訪日成功によって中国側は、両国が外交関係の途切れた難しい状況にありながら、日本には両国関係の発展に個人的な利益の犠牲も惜しまない有識者がまだ多くいることを知ることとなった。ただ残念なのは、「ランの花外交」を築いてきた松村謙三氏が中日関係の正常化を目にすることなく、1971年に病でこの世を去ったことだ。享年88歳。だが、彼の中日友好関係への貢献は永遠に両国の歴史に刻まれることだろう。
「人民網日本語版」2010年9月10日