中国の自動車産業発展史

中国の自動車産業発展史。

タグ: 中国 自動車 産業

発信時間: 2010-09-10 17:43:30 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

 1983年5月5日

 北京の自動車製造工場と米自動車メーカーの代表が「経営協議書」と「合弁規定」を締結し、中国で初となる合弁自動車メーカーが北京に誕生した。

 1985年

 国内で初となる合弁乗用車メーカーが誕生。中国の現代的な自動車工業の発端となった。1985年3月、改革開放の総設計師といわれた障ナ小平が最終決定を下した国内初の合弁乗用車メーカー、上海大衆(VW)が成立。

 1988年5月17日

 第一汽車(以下、一汽)とドイツの大手自動車メーカー、フォルクス・ワーゲンがアウディの技術上と協議を締結した。これより2年前、一汽は輸入部品を組立てる形で「アウディ100」を100台と試験的に組み立て、本当の意味で中国企業が国際基準の高級車を大量生産した。

 1991年2月8日

 一汽大衆有限公司が長春に設立。投資額42億元。中国とドイツの持株比率は6:4。中国最大の合弁自動車メーカーが誕生した。

 1997年

 広州標致(プジョー)の失敗はひとつの悲劇となり、中国の「三小」(小型車を北京汽車、天津汽車、広州汽車に限定する政策)構造を変えることになったが、中国の自動車工業の発展の歩みを止めることはなかった。プジョーは2003年に再び巻き返しをかけ、今では中国で順調に発展している。1997年、設立から12年の広州標致が破産宣告し、プジョーは広州から撤退した。ホンダが1ドルで広州標致のすべての株と債務を買い取った。

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