そして1998年、フィリピンのラモス前大統領やオーストラリアのラッド前首相、日本の細川護熙前首相らが「アジアフォーラム」構想を唱える。中国政府の積極的な支援を得て、2001年2月27日に26の発起国の代表が博鰲で一堂に会し、博鰲アジアフォーラムの設立を宣言、「博鰲アジアフォーラム宣言」を採択した。
海南博鰲投資株式有限会社の副総経理を務めた赫英偉は、博鰲の歴史を振り返って鼻を高くする。「博鰲アジアフォーラムが理想的な形で現実になり、全くの無から物事が生じて土地に根を下ろす様を見て、これこそが奇跡だと思った。まさしく前人未踏の達成であり、これに関われたことを誇りに感じる」
2008年に暁奥会社は使命を終え、株式譲渡の形で海南博鰲投資株式有限会社から退いた。赫英偉自身も十年を過ごした博鰲を離れたが、「私の心は常に博鰲とともにある。そういった意味で博鰲からはいつまでも離れられないだろう」という言葉を残している。