しかし日本では、技術の委託や市場研究などを試みているものの、オープン・イノベーションで利益をあげることが最良の道であると考えている企業経営者は少ない。そのため、技術の飛躍的な進化によって、日本が得意としていたエンジニアリング中心のビジネスモデルは時代遅れになっているが、不確実さや懸念、不安や閉鎖的な企業体制は日本企業が外に向かって開放されることを妨げ、貴重なチャンスを逃してしまう。
「コミュニケーションや連携がスムーズにできない事は、世界のすべての企業が抱えている問題だ。しかし、日本ではこの状況がより普遍的で著しい」とコンサルティング会社であるマッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社のプリンシパル、ピーター・ケネバン氏は指摘する。「企業の内部であってもコミュニケーションの溝がたくさんあり、イノベーションビジネスの意義が失われてしまう」。
1994年、ソニーと任天堂が共同で打ち出す予定だったPlayStationの企画が白紙になった。エンジニアの久多良木氏の訴えで、ソニーは企画を推し進めることを決定し、2000年にはPlayStationはソニーの利益の1/3を稼ぎ出すようになった。PlayStation2の発売が発表されると、1分間に10万件と予約が殺到し、システムがパンクしたために、ソニーはいくつかの予約サイトを閉鎖したほどだった。