政府の政策決定という角度からいえば、経済が停滞し始めてから、どのようにして新しい情勢と時代に合わせて進むかがカギとなっているが、遺憾なことに日本政府の対策はあまり賢明とは思えない。はっきりいって改革は停滞している。一部には、政局の不安定さが停滞の原因だと考える人もいるが、実際は政局が不安定なのは停滞の結果であって、原因ではない。
まず、日本政府は、高度成長期の「投資信仰」を過信している。西側先進国の中で、日本の公共投資の比重は非常に高く、欧州諸国のほぼ10倍だ。GDP増の相当部分が、この公共投資により牽引されている。問題は、バブル経済が崩壊してからも、日本政府は変わらず目の前の問題は需要不足による経済衰退であると考え、政府が投資することで需要や就業機会も創出できると思っている。1990年代、日本は惜しむことなく国債水準を上げ、インフラへの投資で経済を刺激した。1998年~1999年のたった20カ月間首相に就任していた小渕恵三は、その短い任期に84兆円の国債を発行し「世界一の債務者」と呼ばれた。この段階の政府投資は、効率が著しく悪くまったく経済を活性化することなく、逆に多くの汚職を呼んだ。その結果、日本の債務だけが積み上げられることとなった。小泉政権時代には、この傾向を転換しようとしてさまざまな抵抗にあったが、小泉が首相の座を降りてから、自民党から安倍、麻生,そして民主党の鳩山、菅直人も事実上、この昔ながらのやり方を続けている。
つぎに、日本政府は、既得権益者層に対して無力である。例えば官僚は、高速成長期においては、割合と正当な役割を果たした。利益が平等に配分される時代には、彼らが把握する権力の比重が高くても、民衆が気にしない。しかし、経済が停滞するようになると、こうした権力は経済活性化の障壁となる。議員は集票のために、地方のインフラ建設の利権獲得に奔走し、官僚と議員が癒着して、資本を自分の地盤に取り込もうと利権を争う。これが日本版の「地方が中央から財源を調達する方法」である。緊縮している財源を利益団体が勝手に分配していれば、必然的に本当にそれを必要とする地方は獲得が難しくなる。同時に政府が各種法律で業界に規制をかけ、これが直接、経済の活力を奪う。官僚も改革に抵抗する主力になっている。だが、彼らは政界で主導的な役割を持っているので、歴代首相を超えて在任した小泉でさえも、本当の意味で官僚を動かして権力を把握することはできなかった。
民主制度が改革の障害になっている状況は、日本で最も顕著である。これは主に、与党が増税や老人福祉を変えようとしない点に表れている。日本の公共債務残高はすでにGDPの2倍を超過した。財政は緊迫しているが、75歳以上の高齢者の医療費自己負担額をこれまでの10%から20%への引き上げようとする政策は、非常に大きな抵抗に遭っている。小泉政権からずっと結論が出ていない。原因は、日本の高齢者人口は厚く、しかも彼らの投票意欲は若者よりかなり強いので、だれもこれに係わろうとしないのだ。