2年前に発生したトヨタのリコール事件、特に豊田章男社長が米国議会で流した、複雑な気持ちが入り混じった涙は記憶に新しい。同リコール事件は1年余り長引いたが、トヨタは米国政府に約5000万ドルの罰金を支払った。かつてテレビ出演した際に日本車を慎重に購入するよう呼びかけていた、NHTSA(米道路交通安全局)のダニエル・スミス氏は、同リコール事件が捏造であったことを自ら認めた。ブレーキの問題は、ドライバーの不適切な操作によるものとされた。
トヨタが上述したリコール事件でどれほどの損失を被ったかは不明だ。金銭的な損失は容易に補えるが、消費者の信頼は見積もることも、補うこともできない。事件後、米国の「陰謀論」が海外メディアによって取り沙汰されたが、当事者のトヨタ側は静観しており、責任問題を追及していない。
トヨタが米国でつまずいたのは、これが初めてのことではない。トヨタの成功は1960-70年代に始まり、日本経済の高度発展と足並みをそろえた。日本の自動車市場は規模が限られており、トヨタは広大な米国市場に足を踏み入れることを決定した。トヨタの1980年の世界生産台数は1100万台を上回り、米国を抜き世界一の自動車王国となった。米国の「ビッグ3」は、太平洋の彼方からの脅威に気づいた。