旅行とは何かを知らなかった中国人も、自由に世界を旅するようになった。団体旅行のスポット巡りも、同じ都市内のレジャー旅行になった。この30数年間で、旅行は贅沢品から中国人の生活必需品になった。変化は現在も続いている。
昔は「親戚訪問」が旅行の代わり
80年代に卒業し旅行会社のガイドになった黄翔氏は「80年代は外国人客の接待が中心で、国内の観光客は少なかった。その多くが別の地域に住む親戚を訪問したり、他省に出張する人だった」と話す。
西南財経大学旅行管理学科の呂興洋准教授は「経済発展の制約を受け、当時の中国人の旅行意識は低く、外国人客が強かった。90年代前半になり、国内観光業が徐々に興隆した」と説明した。
バスで眠り、降りて記念撮影
1995年より週休二日制になり、1999年に初の「国慶節ゴールデンウィーク」を迎えた。多くの要素により、国内旅行が急激に発展・繁栄した。
昆明学院教授、『旅行研究』編集長の竇志萍氏は「90年代前半は、観光インフラが十分に整備されていなかった。例えば昆明市からシーサンパンナに向かう航空券は入手が困難で、旅行会社に委託しなければ購入できなかった。空港から観光地までの交通も不便だった。外出は旅行会社が頼りだった」と述べた。
中国未来研究会旅行分科会の劉思敏副会長は、「90年代中頃から後半にかけて、一般人の所得が増え、旅行の需要が急拡大した。しかし有給休暇制度が実行に移されず、需要が満たされなかった。1999年にゴールデンウィークが設立された。中国の観光業が、さらなる急成長期に入った」と分析した。
ガイドの銭清香氏も、団体旅行の興隆を実感した。「バスで眠り、降りて記念撮影」という経験は記憶に新しいが、彼女が率いる団体は増え続けており、観光地も混雑を極めている。
中国は2012年より、大衆旅行から大衆レジャーの初期段階に入った。伝統的な団体旅行では、一般人の多様な需要を満たせなくなった。フリープラン、マイカー旅行、カスタムツアー、農村旅行などの新モデルが登場し、好評を博した。
全国国内旅行者数は2013年に、延べ30億人を突破した。連休中に観光地が大混雑するに伴い、多くの中国人が「域外旅行」を選ぶようになった。雲南省昆明市旅行社協会の朱伯威会長は「定年退職した高齢者でも、海外旅行の意欲を持っている。海外旅行は常態化している」と指摘した。
アプリを活用、バックパッカーが世界を自由に旅行
インターネットの発展は、時空を跨ぐ旅行計画という難題を解消した。張立さん(49)と妻も、フリープランの旅行を開始した。よりのんびりとした快適な旅にするため、張さんは出発1カ月前から計画を立て始める。ルートを決め、ホテルに予約を入れ、グルメを探し、飽きることはない。これは今や、携帯アプリで可能になった。
朱会長は自分の例を挙げ、「私のパスポートには欧州の4年マルチビザ、米国の10年マルチビザがあるが、これは昔ならば想像もできないことだった。出国手段は多様化している。例えばフリープランだが、国の扉を開いたばかりのころ、海外旅行は団体ツアーに参加しなければなかった。今はさまざまなビザで出国できる。多くの国が中国人客をビザ制度で優遇している」と話した。
今年上半期の中国人観光客数は延べ25億3700万人で、うち域外旅行が延べ6200万人。中国はこれまで4年連続で世界最大の域外観光消費国になっている。
呂准教授は「30数年間の観光業の発展は、国民の生活の変化を反映している。国民の外出時間がより自由になるに伴い、未来の旅行はより多様化する」と述べた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年10月10日