会議と出発点
歴史の座標は重要な時間の節目と出来事がつながることで出来上がる。「嘉興紅船 七一建党」、「南昌城頭 八一建軍」、「天安門上 十一建国」―これらの重要な歴史の節目と同じく、1978年12月に北京で開かれた中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議(三中全会)は、中国の近現代史の忘れられない日となった。
「十年の動乱」と長期的な「左翼思想」の影響により、中国の政治・経済・社会の発展が頓挫し、国民経済が崩壊の崖っぷちに立たされた。当時の社会は生産力が低下し、生活消費財が著しく不足していた。人民元のほか、さらに「第2の通貨」と呼ばれる「粮票」、「布票」、「油票」、「副食票」がなければ商品を購入できなかった。国際的に見ると、1970年代には科学技術が世界範囲で勃興し、先進国との経済力と科学技術水準の差が大きくなった。この歴史的背景の下、鄧小平を始めとする中国共産党は非凡な度胸・認識・胆力により、中国を率いて世界の流れに追いつき、改革開放の道を歩み出した。
三中全会は実証的な思想路線を確立し、党全体を率い中心的な取り組みを社会主義現代化建設に向け直した。改革開放を実行し、鄧小平を軸とする第2世代の指導部を確立した。鄧小平は第11期三中全会の開催前に行った、「思想を解放し、実証的になり、一致団結し前を見る」と題した談話は会議全体のテーマになり、その後間もなく始まる治世と改革開放に理論の保証をもたらした。第11期三中全会は遵義会議や中国共産党第七回全国代表大会と同じように、歴史の重要な転換期に開かれた会議であり、党と国の運命、中国の発展の流れに深い影響を及ぼした。第11期三中全会は、中国の改革開放の出発点であり、中国の特色ある社会主義の道の出発点でもある。
データと結論
毛沢東氏は「人民、人民こそが、世界の歴史を創造する動力だ」と述べた。鄧小平氏は「発展は確かな道理」と述べた。習近平主席は「幸福はいずれも奮闘によって生み出される」と述べた。40年の改革開放の成果は、領袖たちの論断の最良の解釈だである。
1980年、温州市の女性の章華妹さん(19)が「個人経営者営業許可証」を取得し、温州市初の個人経営者になった。
1983年の大晦日、第1回春節聯歓晩会が開催され、人々が新たな春を迎えた。