映画『阿修羅』が13日に公開され、15日に上映が打ち切りとなった。中国映画としては史上最大の7億5000万元の制作費が費やされた映画で、興行成績が注目されていた。上映打ち切り後も再公開の可能性はあるが、作品の内容は評価が低い。ネット上では「ゴミ」との批判が連なり、再公開される可能性は低い。
『阿修羅』が不評で猛批判を浴びたことには、多くの原因がある。CGや美術が見所になり、その水準も低くないはずだ。ところが口コミサイト「豆瓣」での点数は10点満点で3.1点のみで、上映後に実際に鑑賞し良かったと言う人はほとんどいなかった。この大作映画には「ストーリー」という基本がなく、宣伝には力を入れたが、「口コミ」という重要な戦いでボロ負けした。
『阿修羅』の制作チームは全世界から人材を集めた。作品中にはCG、IP、スター、SF、奇観など流行の概念が散りばめられている。本作は軽薄の代表と言えるが、努力すべきことはしたのにとため息をつくこともできる。
しかし巨額の制作費にも関わらず、興行成績がこれほど振るわないとは想定外だった。上映を打ち切りにしなければ、さらなる惨敗に終わっていただろう。
中国では近年、現実を題材とした優秀な商業作品があり、中国の映画産業全体の進歩を示している。しかし「ゴミ映画」が頻繁に公開されることが大きな問題になっている。これらの「ゴミ映画」は、映画産業にまだ軽薄な気風が残されていることを暴き出している。多くの映画は物語さえ作れておらず、スターによって興行収入を叩き出すか、奇抜な要素により奇跡を創り出そうとしている。これらの作品の失敗は、クランクイン前から決まっている。
中国映画市場の規模はすでに米国を抜いているが、これほど大きな市場は最も優秀な人材と、合理的なルールを作る十分な力を形成していない。スターが資源を過度に占有し、「お友達文化」が流行し、映画の評価や興行成績を偽るなどにより、映画市場からやる気が失われている。おしゃれに見える映画産業は、現代化と規範化の面で多くの業界より遅れており、農作物を販売する市場ぐらい立ち遅れて見えることもある。
中国の一部の有名映画監督であっても、ストーリーが及第点に達していない作品を撮ることがある。これが軽薄でなくして何なのだろうか。中国の映画市場が巨大すぎ、娯楽市場全体も同じく驚くほど巨大なため、有名になれば簡単に儲けられる。一部の人はもとより芸術的才能が不足しているが、有名になってからは本業ではなく小遣い稼ぎに夢中になる。彼らが作り出す映画が面白いはずがない。
ハリウッドにもゴミ映画があるからと、中国のゴミ映画をかばう必要はない。ハリウッドのゴミ映画は腐っても鯛で、世界を騙すことができる。中国映画はまだ奮闘・猛追の最中であり、業界関係者はさらに血路を開くしかない。
映画界の前進のペースは、中国の興行収入の成長ペースから大きく遅れている。市場に「ゴミ映画」制作者の責任追及制度を作るべきで、また実力のないスターにも食っていけなくさせるべきだ。市場という目に砂を入れるべきではない(環球時報コメンテーター)。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2018年7月19日