「米国人は20−30年前に上海に来れば教師になり、市場と競争力の問題について話すことができた。今や全世界が上海を訪れ、最新の発展の成果と経験を共有している。中国の変化は本当に大きい」
8日に開かれた第1回中国国際輸入博覧会産業国際競争力協力フォーラムにて、上海米国商会取締役会元議長、米ピッツバーグ大学メディカルセンターグローバルバイスプレジデント兼中国エリア総裁のジェフリー・バーンスタイン氏のこの発言は、中国の改革開放の歩みに対する外国人の実感を反映している。
バーンスタイン氏は1994年に上海を訪れビジネスに従事しており、流暢な中国語を話す。彼は1998年に、浦東外高橋保税区の政策のメリットに注目し、単独経営の企業を設立した。米国からトラックの部品を輸入し、貿易仲介業者として、中米両国の自動車市場の橋渡し役になった。
「私の経験だけでも、20年前の時点で単独経営の外資系企業は中国で普遍的になっていた。なぜ米国は今日になり、中国政府が合弁企業しか認めないと批判しているのだろうか」
中国が2001年末に世界貿易機関(WTO)に加盟すると、外資系企業の中国における権益がより十分に法律で保障されるようになった。バーンスタイン氏の企業は、中国国内の卸売企業と同じ市場参入待遇を受け、各種商品を取り扱い業界・地域を跨いで販売できた。
中国が近年「世界の工場」から「世界の市場」に移り変わるにつれ、輸入貿易が急成長し、中国の開放の扉がますます大きく開かれ、多くの海外企業が中国の取引先と直接交流している。長年に渡り仲介業者を務めてきたバーンスタイン氏は、試練を迎えている。これは特に越境ECの流行により、中国の購入者と一般消費者が直接、海外の商品とサービスを選べるようになったことだ。
「市場は大海原のように無限に拡大できる。市場の主体が多元化するほど効率が上がる。物的資源が限られるなか、開放と革新を通じ無限の価値を引き出すことができる。これらの印象と実感は、私が上海の各段階の対外開放で蓄積した重要な収穫だ。これらは企業が成功するための経験であり、経済グローバル化を推進する各国の共通認識になるべきと信じている」
バーンスタイン氏と同様、上海市社会科学界連合会主席の王戦氏も、第1回輸入博覧会の最大の印象は「開放」としている。王氏は、上海が1990年代に浦東の開発・開放を通じ、地域的な開放段階を迎えたことを振り返った。国有企業改革は10年間で「壮大なる平和なモデルチェンジ」を終えると同時に、高水準の石油化学、鉄鋼、自動車、造船、情報技術産業の5大基地を建設した。「対外開放はその中で、重要な力を発揮した」
在上海メキシコ総領事館で3年連続で商務参事官に就任しているアレハンドロ・サラス氏は17年前に上海を訪れ、アジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席した。彼は新華社記者に、次の印象を語った。中国は長年に渡り扉を大きく開き、世界各国の友人を手厚くもてなした。自国の高度成長を維持すると同時に、各国に市場のチャンスを創出した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2018年11月11日