輸入品が一般家庭に浸透 生活がより素晴らしいものに

輸入品が一般家庭に浸透 生活がより素晴らしいものに。

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発信時間:2018-11-12 14:25:53 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

上海で1019日、「巡り合わせの時・素晴らしい生活」改革開放40周年記念大型生活ショーが行われ、ソニーの白黒テレビが登場した。


かつて一斉を風靡したウォークマンの多くは生産を停止し、一世代の人たちの記憶になっている


116日、中国国際輸入博覧会のロレアルのブースで化粧品を試用する来場者

 

 上海で10月19日、「巡り合わせの時・素晴らしい生活」改革開放40周年記念大型生活ショーが行われ、ソニーの白黒テレビが登場した。

 

かつて一斉を風靡したウォークマンの多くは生産を停止し、一世代の人たちの記憶になっている(写真:王小柒)

 

11月6日、中国国際輸入博覧会のロレアルのブースで化粧品を試用する来場者(写真:新華社 陳飛)

 

 2億元相当のヘリコプター、ベトナム産ナッツ、ドミニカ産フルーツなどが展示され、輸入博覧会は大賑わいとなり、世界の良い商品が上海に集結した。

 

 11月5日、第1回中国国際輸入博覧会が上海で幕を下ろした。172の国と地域、国際団体、3600社以上の企業が参加し、展示面積は30万平方メートルに達し、国内外から40万人以上が商談に訪れた。中国国際輸入博覧会は世界初の輸入をテーマとした国家クラス展示会で、国際貿易の発展史における初の試みとなる。

 

 40年前、これほど多くの商品が輸入されるとは、中国人は想像していなかった。しかし中国が1978年に改革開放を開始したことで、その局面は変化した。

 

 1978年から2018年まで、中国の改革開放は40年の歩みを経てきた。この40年で、中国人は豊かになり、生活レベルが絶えず向上し、視野も広がった。衣食住と交通手段が洗練され高級になり、中でも開放拡大の背景下で、多くの輸入品が中国に入るようになった。最初のテレビや冷蔵庫からウォークマン、MP3、現在の化粧品、小型家電などに至るまで、輸入品は中国人にとってごく普通のものになった。

 

 中国の開放が進むにつれ、今後さらに多くの輸入品が中国に入り、一般家庭に浸透し、中国人の生活はより素晴らしいものになるだろう。




「少」から「多」へ

 

輸入品は「珍しい物」ばかり

 

 1978年、改革開放が始まった。多くの商品が海外から中国に入り、大きなもので生産技術、小さなもので日用品などの輸入品ブームが中国の一般家庭に広まったが、これらは全て「珍しい物」だった。

 

 王小柒さんはある輸入品のことをよく覚えている。それはテレビである。王小柒さんは山東省莱州市出身の30歳、現在は北京で働いている。王小柒さんは「幼い頃、家に日本から輸入したテレビが2台あった。1台はビクター、もう1台はパナソニック製だった。ビクターのテレビのことを印象深く覚えている。リモコンがテレビにはめ込まれていた」と話し、携帯電話で画像を検索して記者に見せた。

 

 1980~90年代、中国人の家庭に見られる輸入品の多くが家電、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などで、価格も高かった。王小柒さんの家にあったテレビは2台とも2000元前後だったという。当時の2000元はかなりの大金だった。

 

 当時は金持ちであれば輸入品を購入できるわけではなく、外貨券が必要だった。外貨券は一種の独特な現象で、1980年から15年間にわたり外貨券と人民元が市場に同時に流通していた。多くの外国人の記憶によると、当時、外貨券は中国を訪れる外国人および帰国する華僑のために発行され、ホテル、友誼商店、免税店などの特定の場所でしか使用できなかった。その後、一部の大陸人が海外にいる知人から外貨券を入手し、上述の特定の場所に行き輸入品を購入するようになった。

 

 王小柒さんの家にあったテレビは、彼の祖父が知人に頼んで外貨券で購入したものだった。「祖父はビクターのテレビをずっと見ていた。このテレビは自分より高齢。今もこのテレビは家にあり、家族の記憶になっている」と王小柒さん。

 

 改革開放が進むにつれ、多くの輸入品が一般家庭に入った。その後、王小柒さんの家の家電の多くが輸入品になり、結婚した今も輸入品が中心である。王小柒さんは「やはり質が良い。少し高いが、買う価値はある」と話す。




 輸入品を購入できるのは開放されたためだが、所得が増加したためでもある。国家対外開放研究院特約研究員・対外経済貿易大学国際経済貿易学院教授の劉青氏は取材に対して次のように述べた。サプライサイドから見ると、改革開放初期は品数が少なかったが、現在は数も質も変化し、選択肢が増えた。また、新商品が次々と登場し、ニーズを満たしている。需要サイドから見ると、改革開放初期の「四大アイテム」は腕時計、自転車、ラジオ、ミシンだったが、所得が増加し、1980年代にテレビ、冷蔵庫、洗濯機、テープレコーダーになり、新世紀に入ってからは携帯電話、パソコン、自動車、家に変わった。

 

 劉青氏は次の見解を示す。この40年の「四大アイテム」の変化から、多くの人が「四大アイテム」以外のものを欲しがらないのではなく、所得が相応のレベルに達するまで欲しいと思わず、潜在意識としてニーズが抑えられているとわかる。所得増加に伴い予算に余裕ができ、ニーズが徐々に広がっていった。

 

 27歳の王濤さんは、今でも自分が持っていたソニーのMP3のことをよく覚えている。「当時は中学生で、父が出張で日本に行った時に買ってきてくれた」と王濤さんは話した。当時、国産のMP3をいくつか持っていたが、ソニーのMP3を気に入っていたという。




 「紫、白黒画面、シンプルでおしゃれなデザインに深い印象を覚えた。他のMP3と比べて、ソニーは音質が良く、音がはっきりとしており、聞いた時に心地よかった」と話す王濤さんは、MP3のほかにソニーのCDプレイヤーも「薄くて質が良い」と高く評価している。

 

 王濤さんだけでなく、王小柒さんも当時、感銘を受けた。王濤さんと違って王小柒さんはウォークマンのファンで、自分がコレクションするソニーのウォークマンをSNSでよくシェアしている。彼がコレクションするウォークマンの多くが現在は市場に出回っていない。「コレクションは趣味で、幼い頃から好き。これらを思い出として子供に聞かせ、家宝として継がせたい」と王小柒さんは笑いながら話した。



「中国網日本語版(チャイナネット)」2018年11月12日




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