河北省の省都石家荘市で今年5月の調査で見つかった戦国時代の中山国の墓群の発掘が基本的に完了し、当時の人々の生産や生活を研究し、中山国の神秘のベールを剥ぐための実物資料となる大量の遺物が出土した。
河北省文物研究所の考古学調査隊は今年5月、石家荘市平山県両河郷張楊村で戦国時代の中山国の墓群を発見し、16基の墓を確認した。同研究所と石家荘市文物保護研究所、中山国古城遺跡管理所は5月20日から合同で墓群の発掘調査を開始した。発掘を当面実施しない4基を除く12基の発掘作業が基本的に終わった。
墓は平面がすべて長方形で、向きが南北と東西のものがあり、前者は発掘区域の東側に9基、後者は西側に3基ある。最も大きい墓は長さ4メートル、幅2・9メートル、最も小さいものは長さ2・5メートル、幅1・55メートル。最も浅い墓は地表から2・2メートル、最も深い墓は地表から6メートル近くある。多くの墓は壁の角のところに、上り下りができるよう、足の踏み場があり、その数は最も多いものは30余りに上っている。比較的規模の大きい墓は内棺と外棺があり、小さい墓は単棺が使われており、一部の墓では棺の下に枕木が敷かれていた。内棺、外棺、枕木は腐食がひどく、木の灰しか残っていなかった。墓内の人骨の多くは保存状態が悪く、墓主はほとんどが仰向けで体を伸ばした状態で埋葬され、男性も女性もいる。
副葬品の多くは内棺の中や内棺と外棺の間にあり、棺と壁の間に置かれていたものもごく少数だがあった。副葬品では土器、青銅器、玉器、鉄器、石器、ガラス器、漆器など約80点が出土した。土器は壺、高杯、鼎、碗、鴨型の尊(酒器)などがあり、焼成温度はいずれも低めとみられる。一部の器は表面が磨かれ、巻雲紋、波折紋、三角紋などの装飾が施されている。青銅器は剣、小刀、鏡、鏃、橋型飾り、帯留めなどがあり、なかでも帯留めは種類が多く、金メッキ、金糸象眼、銀糸象眼、トルコ石象眼などの装飾が施されていた。玉器は玉環と帯留め、鉄器は帯留めと小刀、石器は丸石片と角石片、ガラスは装飾用の珠があった。