副葬品では帯留めが最も多く見られ、盗掘を受けていないすべての墓から出土した。青銅製が多く、玉や鉄のものもあった。形は琵琶型、水鳥型、曲線型、獣面型、スコップのような型などさまざま。張楊村の墓群の帯留めは種類が豊富で、装飾や加工が美しく、同種の墓の中でも珍しい。
このほかM10の墓では2点の特殊な状況が見つかった。第1に、内棺や外棺などの埋葬用具を墓の底に直接置かず、竪穴を掘ったあとに土を少し埋め戻してから棺を置いている。第2に、墓の壁の底部近くの同じ高さのところに、大きさや形が似ている四つの掘り下げた穴が、北壁に二つ、南壁に二つあった。こうしたことはこれまでの発掘ではほとんど確認されておらず、どのような意図があったのか、まだ分かっていない。
「今回の調査は1976年の中山王の墓に続く、河北省の中山国遺跡に対する発掘調査で、出土品の保存状態が良く、副葬品が最も豊富な墓群の一つである。今回見つかった金糸象眼や銀糸象眼を施した青銅製帯留め、金メッキの器物およびさらなる研究が必要なトルコ石の器物などは、どれも2000年以上前の中山国文化を研究する上で新たな証拠と実物資料となるものだ」、石家荘市文物局の張献・副局長はこう強調した。
中山国は戦国時代に白狄族の鮮虞氏が建国した。支配地域は狭かったが、武力が強く、その地位は戦国七雄に次ぐ「千乗の国(1000台の戦車を作れるくらいの強国)」だった。紀元前3世紀末に趙国に滅ぼされた。史料の記載が極めて少ないため、中山国は「神秘の王国」と呼ばれていたが、1970年代に考古学関係者が中山古城遺跡を発見してから、神秘のベールが徐々に剥がされている。中山古城遺跡は1988年に国務院から全国重点保護文化財に指定された。
同遺跡管理所によると、同県は遺跡保護区内に中山古城国家考古遺跡公園を建設する計画だという。建設計画はすでに河北省文物局の審査にパスしている。
遺跡公園は県の中心部から北に約8キロの黄壁庄ダム湖の北岸に建設する予定で、敷地総面積が482・9ヘクタールで、工期は3年としている。
(新華網日本語=中国通信社) 2011年7月9日