私は長年、日本と関係のあるジャーナリズムの世界で暮らしてきたので、個人的には日本人の中国語学習の仕方をいろいろ参考にしてきたが、遣唐使の時代を含めて、日本は中国の古典、史書、文献の研究の面で他国の追随を許さない成果をあげてきたと言っても過言ではない。私は仕事で日本に長期滞在していた頃、古本市で中国の四書五経などを詳しく解説した本を買い集め、第一線から退いてからじっくり勉強しようと考えていた。また、日頃の仕事の中では諸橋轍次先生の大漢和辞典を愛用していたが、アメリカやロシアのような東洋学の伝統のある国でも、これほどの辞典を編さんしてはいない。また、吉川幸次郎先生の杜甫詩集も買い求めたことがあるが、日本は漢学の歴史があるので、学問としての中国語研究の面では他の追随を許さぬものがあるような気もする。
今はジャーナリストとして「楽問」を楽しんでいるが、吉川幸次郎先生の「尚書正義」などは今だにツンドクのままだが、今日の中国語学習熱を見ていて、やがていろいろ新しい動きが出てくるに違いない、と楽しみにしている。
ちなみに、中国でも日本語学習熱は盛んで、私もよくさまざまなコンテストの評議員みたいな仕事にひっぱり出されているが、日本語研究の学問としての蓄積はまだまだ始まったばかりではないかと思う。これからさらに深味のある成果が出てくることを願っている。初学者には役立つが、一応勉強したことのある人たちには物足りないような気もする昨今だが、そのうちに、6万人もいるという日本語学習者の中からすばらしい人材が育ってくるに違いない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年11月22日