Brill氏,、Stefatou氏、Ferguson氏、Lundgren氏は、中国人の親切さが取材をより一段と「挑戦的なもの」にすると話す。その理由は、多くの取材対象者はおもてなしとして「酒」(通常は「白酒」)をふるまい、それが取材でごく普通であることだ。
「一日にいくつかの取材があれば、ご馳走してもらったり、飲んだりすることはむしろ大変なこと」とBrill氏は話す。
しかし、この「四人組」にとって最も困難だったのは、この小さな町で歴史を記載した資料がなかなか見つからなかったことだ。Bill氏は、こうした忘れられた歴史を蘇らせて再現し、町の魅力を示すことは作家と写真家の責任だと考える。
しかしFerguson氏によると、外国の作家たちは非常に自由だという。自由に中国の出版社に作品を掲載できるためだ。またFerguson氏は、「自分がやりたいこと、書きたいことに関して、確かに障害はない。西側の出版社と協力すれば、頭のきれた編集者がいるため、どのような作品を作ればよいか、本の雰囲気をどのようにすればよいか全てわかる。こう言うと驚くかもしれないが、事実である」と話した。
4人がシリーズの制作で最も苦労したことは、地元市民の取材だという。現地政府は西洋の作家とカメラマンが現地で仕事したり、市民を取材することを大いに支持しているが、多くの市民は外国人による取材や撮影に緊張していた。
「私たちは時々、現地の人が何か話してくれることを願った」とStefatou氏。
作家と写真家はそこに到着するまで、自分が探しているものがわからなかった。しかし、具体的な目的のない試みも、予想外なすばらしい発見に結びつく可能性がある。
「私たちは、50年代に建設されたトラクター工場を訪れた。そこは本当に驚くべき場所だった。そこを訪れようと思ったことなど一度もなかった。そこを知らなかったためだ」と、Lundgren氏は話した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年6月11日