時が過ぎ、星が移り、瞬く間に今年も冬至を迎えた。
二十四節気の中で「冬至」は特別な一つで、古代には「亜歳」と呼ばれた。今でも、冬至は重要な存在であり、それに関する話題も絶えない。冬至には餃子や湯円を食べる風習がある。冬至グルメを楽しむことは、まもなく訪れる春節に親友と再会することへの期待も表している。
「冬至」は祭りなのか?
冬至は二十四節気一つで、「冬節」や「賀冬」とも呼ばれる。節気でもあり、祭りでもあると言われる。周の時代、冬至は新年と元旦で、非常ににぎやかな日だった。かつて、この日を特別に過ごすことは新年の到来を祝う意味があった。
冬至を祭りとして祝うことは漢代に始まり、唐・宋代で栄えたが、厳密に言えば、冬至は祭りではないと考える学者もいる。民俗専門家の王娟氏は、「この節気と祝い方はかなり昔からあるが、現在私たちが祝う祭りと単純なイコールではない」と話す。
また、王娟氏によると、古代、多くの重要な行事が冬至に行われた。その内容は豊富だが、地域によって祝う方が異なり、差が大きい。当時の民俗行事と言えば、家族の目上の人に靴をプレゼントしたり、『数九』を歌ったり、(冬至から19日後が1年で最も厳しい寒さとされ、中国では冬至の日から春までの81日間を9日ずつに9分割する)、『消寒図』(寒さを凌ぐ絵)を描いたりするのが基本だった。もう一つ、冬至の日に、孔子を祭ったともされている、盛大な儀式だが、一般的な祝いの行事ではないため、私たちの言う伝統的な祭りの新年とは異なる。
写真はCFPより
節気のグルメ、舌を満足させるだけでない
冬至は単なる季節の節目ではない。清代の蘇州の人々は冬至を最も重んじ、冬至の前日に友人同士で祭りの食品を贈り合う習慣があった。当時の人々は「冬至盤」と呼ばれる食品を詰めた手提げかごを持って贈り合い、町はにぎやかだった。
蘇州の冬至の食べ物といえば「冬至団子」である。これは白玉粉で肉、野菜、果物、エンドウあん、大根の千切りなどを包んだもので、先祖や荒神への供物や贈り物になっていた。
この日、北部には餃子を食べ、南部には湯円を食べる風習がある。冬至を過ぎると日光が強くなり、緑は春の意味があるため、この日に気候に合わせて野菜を食べる地域もある。寒い冬に、暖かい春の訪れが待ち遠しい。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2020年12月21日