上海の南京路は著名な商業ストリートであり、広義では南京東路と南京西路が含まれる。狭義では1945年以前の南京路、つまり今日の南京東路(南京路歩行街)を指す。
南京路の起こりは1851年に設置された外灘(バンド)から河南路抛球場に向かう「花園弄」(Park Lane)。1854年に浙江路まで延長され、俗に「大馬路」と呼ばれた。1862年に西側は西蔵路まで延長され、1865年に上海公共租界工部局によって正式に南京路と名付けられた。
20世紀初頭、英国が沿道に福利公司、恵羅公司、泰興公司(現・連卡仏)、匯司公司を開設し、「前四大会社」あるいは「旧四大会社」と呼ばれた。華僑が開設した先施公司、永安公司、新新公司、大新公司は「後四大会社」と呼ばれた。このほか、協大祥、老介福、亨達利、恒源祥、張小泉といった特色ある専門店も並び、上海一にぎやかなストリートとなった。
2000年、東は河南中路から西は西蔵中路までの区間が歩行者天国となり、「南京路歩行街」が形成された。
南京路歩行街はショッピング、観光、ビジネス、文化が一体となった特色ある歩行者天国で、全長は1000メートル余り。路面にはさまざまな色の石が敷かれ、道路中央の4.2メートル幅の金色のラインが主線となっている。金色のラインに使用されている材料はイタリアから輸入した花崗岩。ライン上にはマンホールの蓋が37個あり、そこには上海のさまざまな時代の建築物が刻まれている。路面には点字ブロックも敷かれている。
道路の両側にはベンチや花壇、電話ボックスなどが設置され、河南中路、浙江中路、西蔵中路と交わる地点にはそれぞれ「三人家族」「若い婦人」「母と娘」と名づけられた彫像が置かれている。また、河南中路の入り口と西蔵中路の出口には「南京路歩行街」と書かれた石碑が設けられている。
歩行者天国の中央は世紀広場。広場にはステージや4.5トンの「東方宝鼎」、景観鐘が設置され、着飾った人々が行き交う。