林国本
日本中国アジア経済戦略フォーラム(専務理事、事務局長片山啓)のアレンジのもと、数多くの草根の日中交流に熱心な日本の人たちの協力の下で、中国四川省地震被災地の教師、生徒ら一行8人が日本の神戸、東京などを訪れ、「防災減災」関係の見学をおこない、ホームスティなどを通じて日本の市民たち、在日華僑たちと交流した。
生徒たちの感想の手記から生徒たちは、阪神、淡路大地震の映像や市民たちの救援への取り込みなどを詳しく知るとともに、この旅行を通じて一日、一日と自分たちの体験とあわせて、心のケアの作業をつづけた。
日本側は、「神戸海外災害援助市民センター」、毎日新聞社会事業団が協力して、この事業を実施したことからみても、最初から心のケアのみでなく、防災――減災という人類の大きな目標とを綿密に組み合わせたものだったので、生徒たちの感想文からもその成果がはっきりと読み取れた。
今回訪日した教師、生徒たちは、中国内陸部の山間地帯に暮らす人たちで、かなりの生徒たちは中国の北京、上海さえ行ったことのない人たちが多く、感想文の多くは、国際的視野がひらけたことを強調し、日本をより深く知ることになったことを綴っている。
四川省の震災発生後、ロシアがいちはやく多数の四川省の生徒を保養地に迎え、その返礼とでもいうか、今年はロシアからも多数の生徒が中国に保養に来るといわれているが、今回の日本における草の根の日中交流の取り組みはかなり具体的なもので、必ず歴史に残るものとなるに違いない。
前出の片山啓さんは、四川震災発生後まもなく、まだ仮設住宅生活者が多数存在する現地へ、義捐金を届けに馳せ参じ、その後、防災、減災知識の交流のためにも寄与してきた。片山さんは40年間日中貿易の促進に尽力してきた人であるが、これからのいわゆる「余生」を日中青少年交流に寄与したいと語っている。今回の交流の成功は、その最初の一歩のひとつとでも言えるのではないだろうか。いや、片山さんは40年間の努力を経て、中国のあちこちに「人脈」があるので、もっと大きな事業をスタートさせることさえありうると見るべきかもしれない。
生徒たちの感想文や感謝の手紙を見ると、かつて日本のベテラン外交官であった人もこの事業に協力しているようだ。ある意味では、新しい日中交流の時代の幕が開かれつつあるのではないか、と感じられる。
四川省のかつての震災地では複旧事業が着々と進んでおり、片山さんは新しい姿を見て来ているので、世間話にも迫真感がこもっていた。おそらく日本人の中で、震災地の復興の状況を一番よく知っているものの1人ではないだろうか。今回、帰国してからは中国の「辛亥革命百周年記念行事」の準備やその他の交流事業の仕事が待っているようだが、片山さんたちの新たな成果を耳にするたびにわれわれは心から喜んでいる。世々代々の友好とは、こういうことを指しているのだと思う。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2010年7月22日