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稲垣喬正氏ー54年前の思い出を振り返って
発信時間: 2009-03-06 | チャイナネット

稲垣喬正氏は、市川猿之助の中国公演と梅蘭芳の日本での公演の舞台美術を担った一人で、貴重な日中両国の文化交流について、50年以上前の出来事を振り返った。

今から54年前の1955年10月、私たち日本の歌舞伎は、北京、上海、広州で歌舞伎公演を行いました。翌年の1956年5月には、その返礼として京劇団を日本にお迎えし、京劇の名優である梅蘭芳先生の訪日京劇団一行の公演を東京、名古屋、京都、大阪、福岡の5カ所で30回行い、有意義な日中の交流の成果を修めることが出来ました。

訪日中の梅蘭芳と稲垣喬正氏(1956年)

私はこの2回にわたる両国の芸術交流事業に携り、舞台美術という仕事を通じて、同じ職種の京劇団の舞台裏のスタッフと共に協力し合い、公演を成功裡に終わらせる事が出来ました。

当時はまだまだ日中国交回復などは実現しておらず、数々の困難も付きまといましたが、京劇という伝統的な中国舞台芸術の素晴らしさに日本各地で絶賛の声が起こり、両国の人々がお互いに理解を深める事ができました。

梅蘭芳のサイン入り写真

このサインは日本公演の際に梅蘭芳から直接してもらった

この際の節目は代表的な梅蘭芳先生の「貴妃酔酒」「覇王別姫」「断橋会」をはじめ、「人面桃花」「秋江」「三岔口」「閙天宮」「野猪林」等など、絢爛、華やかさ、勇壮果敢、鮮烈な連続動作、いずれも観客をアッと云わせるほどの迫力、観客一同息を飲む程の迫力、朗々たる武将の歌声、それらをさらに効果的に演出する独特の音楽、圧倒されっぱなしの連続で、すべて「観客は酔いしれた」とはこの事ではないでしょうか。

鮮やかな配色による舞台装置、衣装、照明、化粧それぞれすべてが統一されており、幸いな事に私はこの有意義な裏方の仕事に接しいろいろな事を学ぶことができました。彼等の献身的な仕事に対する態度、伝統的な舞台技術を守り続けている精神、それら一つ一つが我々日本側スタッフにも浸透し、自然に同じ仕事仲間としての友情が徐々に芽生え、約1カ月半寝食を共にし、努力し合って共同作業として日本での完璧な京劇の演目を共に成功無事上演し達成できました。

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