1945年7月26日、中国、アメリカ、イギリスの3カ国は共同でポツダム宣言を発表し、日本に無条件降伏を迫った。8月9日、毛沢東主席は、『日本の侵略者に対する最後の戦い』を発表し、「対日戦争は最終段階に入り、中国人民はそのすべての力を動員して全国規模の大反撃をしなければならない」と指摘した。朱徳総司令官も、「各解放区の武装部隊は、日本軍が指定期間内に投降させよ」という命令を出している。
1945年8月14日、日本政府は、ポツダム宣言を受け入れ、中国、アメリカ、ソビエトなどの国に降伏し、翌日、昭和天皇が読み上げる連合国に対する降伏を国民に告げる「詔書」が、ラジオ放送を通して日本全国に流された。9月2日、日本の降伏文書への調印式が、東京湾に停泊するアメリカ軍艦「ミズーリ号」の甲板で行われ、日本全権代表の重光葵外相がこの降伏文書に署名した。
1945年9月9日、中国戦区における日本軍の降伏文書調印式が、南京市黄埔中路の中国陸軍総司令部前進指揮所で行われた。降伏受理側の席には首席代表である中国陸軍の何応欽総司令官が、降伏側の席には首席代表の日本軍中国派遣軍総司令官の岡村寧次陸軍大将がそれぞれ座っていた。
1945年10月25日、中国政府は台湾で日本の降伏を受け入れた。
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