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「困った時はお互いさま」中日関係の未来が見えた |
発信時間: 2008-07-07 | チャイナネット |
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これが受け入れられて、日本と中国の共催の方向へ関係者一同は慌しく動き出した。前トヨタ会長・経団連会長で今も首相特別顧問を務める奥田碩さんは、海外にいたにもかかわらず、呼びかけ人の一人になると、秘書を通じて返事してくれた。在日中国人学者の活動をずっと熱心に支えている電通最高顧問の成田豊さんは呼びかけ人を引き受けただけでなく、電通のスタッフに、一流のコンサートになるための助言、企画参加を指示した。CCTV大富の張麗玲社長は、日本芸術界の重鎮の参加も重要と指摘し、浅利慶太・劇団四季の代表に何度も連絡して意義を説明して、やはり呼びかけ人に名を連ねてもらった。 アグネス・チャンさんには私が連絡を担当したが、呼びかけ人の要請に応じただけでなく、他の日本人ミュージシャンの出演参加にも声をかけると進んで言ってくれた。 在日中国人と日本の芸術家が競演し、中国国内からも有名歌手がボランティアで駆けつけた。辻孝文・舞台監督ら多くのスタッフが舞台裏で献身的に努力し、崔天凱大使も激務の中を駆けつけてフィナーレに登壇し、歌手たちといっしょに歌った。多くの日本人記者に感想を聞いたが、「違和感が一切なく、みんな感動した」と答えてくれた。 朝日新聞記者は「困ったときはお互いさま。少しだけ縮まった日中関係が見える夜だった」と紙面に書いた。ある日本人女性もブログで、 「かつても今も反目してしまう弱さを持つ人間ですが、ともに力を合わせて一つに向かうことができるのも人間のすばらしさです」と感想を述べた。 ◇ 四川汶川大地震の救援・復興支援は日本で幅広く行われた。政府・企業・民間から多額の義援金が送られ、現地に緊急に必要なテントなどの物資も多く集まった。それだけでなく、地震対策で多くの経験を積んだ日本人専門家は中国に積極的に提案し、一部は中国側の要請を受けて現地に赴き、助言を行った。阪神大地震を経験した兵庫県、神戸市の関係者は、その後数年間かけて作り上げた復興計画などの資料を、中国側に無償で提供し、私が代表を務める日本華人教授会議のメンバー(王柯、黄磷、季衛東、劉徳強各氏らが中心)は留学生たちに呼びかけてその翻訳を担当した。 ◇ 中日関係の未来を考えるとき、今回の大地震からいくつかのヒントを得ることができる。 中国自身は被災地の情報を積極的に公開し、憶測を排除し、大半の日本国民から信頼を勝ち取り、国境を越えた人道主義的な連帯感を引き出した。 日本の救援隊、医療チームなどが現地に赴き、献身的な働きを中国の一般民衆に見せた。「顔の見える支援」で効果を挙げた。 地震多発国の日本から、災害への備え、発生後の対策、経験とノーハウを伝え、「日本ならではの支援と貢献」をした。 日本と中国、この2つの大国のGDPは足すと東アジア全域の8割以上を占める。国民同士のふれあいと助け合い、互いに敬意を表すこと、そして世界への共通責任を果たす意思、この3点が実現すれば、その将来をあまり心配しなくて良いのではないだろうか。 チャリティーコンサートの冒頭で私は主催者を代表して挨拶し、中国の若者が四川の大地震後に書いた言葉を紹介した。「どんなに大きい困難があっても、みんなが分かち合えば小さなことになる。どんなに小さな努力でも、いっしょにすればとてつもなく大きい力になる」。この話は中国と日本の関係の将来にも適用できるような気がする。0807 「人民中国インターネット版」より 2008年7月7日 |
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