ホーム>>中日両国>>視点 |
加藤嘉一:時代と彷徨う中国の「80後」世代 |
発信時間: 2008-09-01 | チャイナネット |
|
私の目に映る「80後」の特徴をざっくばらんに挙げてみたい。独立心、生命力に欠ける。幼稚。責任感で動こうとしない。公共意識が薄い。政治に興味を持たない。個人主義、功利主義、実用主義。自分勝手だが、大衆意識は濃い。リスクをとらない。理性、冷静さに欠ける。その一方で、イデオロギーにとらわれない。観念ではなく、プラグマティズムで行動する。自由な発想をする。向上心、創造力がある。国際的視野に富む。個性を追求するなどの一面も持ち合わせるようだ。 大人は往々にして、「80後」という1つの概念で若者を括りつけ、批判する。しかし、彼らの持つ特性は昨今の社会的背景に由来するというのが私の見方である。時代が彼らをそうさせているのだ。私が付き合ってきた「80後」のほとんどが、将来に不安を抱いている。先が見えないでいる。自由気ままに生きているようで、実際は社会、学校、家庭など各方面からの「圧力」に日々耐えている。就職難で、失業率も高い状況下で、周りのライバルに遅れまいと、必死にもがいている。自分と周り、個性と共存、今と未来、自由と束縛、快楽と緊張、祖国と世界。その「狭間」で戦っているのだ。孤独な世代なのかもしれない。 ◇ 2008年5月19日、北京・天安門広場に集った若者たちは、四川汶川大地震の犠牲者に黙祷したあと、「中国がんばれ!」「汶川がんばれ!」と叫んだ 世間を騒がせる「80後」だが、今や社会全体として軽視できないプレーヤーになっている。その代表例が、ネット上での「言論活動」だ。現在、中国ではネット使用者が2億人以上いるが、私の感覚では、その半分近くが「80後」である。彼らはウェブサイトにおける掲示板、ブログなどで、生活の感想や社会問題への見解などを「語り合う」。ネット空間は自由で、日々の不満やストレスを発散させるプラットフォームにもなっている。匿名で書けば責任を負う必要もないと考え、過激な発言も控えない。 チベット事件、聖火リレー、四川大地震など一連の出来事を通じて、世論をリードしていたのは紛れもなく「80後」だった。カルフールボイコット運動や反CNNキャンペーンの先頭に立った。政府は冷静になるように呼びかけたが、若者たちの「苛立ち」はなかなか収まらなかった。政府が「80後」の「暴走」に困惑していたのは間違いない。四川で大地震が発生すると、北京大学のエリートも含めて、彼らはこれまでになく政府の取り組みを支持した。五輪を前に、欧米諸国や天災と戦う政府の姿が眩しかったのだろうか。 ◇「80後」を奮い立たせているのは愛国心なのだろうか。それとも、いわゆる「ナショナリズム」なのか。ただ、彼らの言動は、案外「気まぐれ」な部分も大きい。どの場面で、どのように一致団結するのかも読めない。漠然と「愛国心」あるいは「ナショナリズム」で括ってしまうのは理性的ではない気がする。いずれにせよ、時代とともに彷徨う「80後」から、目は離せない。 人民中国インターネット版 2008年8月31日 |
|