大阪にあるパナソニックのショールームには100インチの液晶テレビが展示されている。石油価格が高騰すれば、トヨタの燃料電池自動車が市場を席巻するだろう。先端医療機器の分野では、日本政府が数百億円を投じた基礎研究が神戸で展開されている。なにも日本企業の広告をしようというのではない。こうして技術を高めることで、日本は産業の上流に立ち、労働力と資源の安い中国との相補関係を形成している。日本経済界の人々のロジックはこうだ。経済のグローバル化に伴い、ビジネス活動を一国で行うのはますます困難となってきている。国際分業によって生産能力を高める必要があり、日本にとって中国は最良の国際分業相手となる。だがこのロジックは、「中国人は安い労働力にすぎない」と言い換えることもできる。
国際分業論や比較優位論といった考え方は流行して久しいが、細かく分析してみる必要がある。この問題については、鍾慶氏の書いた「皿を洗うか本を読むか」という本の観点に同意したい。つまり、発展途上にあった日本のように知識や技術を重んじてこそ、民族を発展させることができるという観点だ。立派な高層ビルや大きな工場、巨額のGDPなどは根本的な要素ではない。高層ビルは地震で倒れてしまうかもしれないし、海外資本はいつ撤退するかもわからない。工場だって移転してしまうかもしれない。高い技術や技術を持った人材、優秀な人材を抱えた国こそが、競争力を持っているといえる。
最初の問題に戻ろう。中国と日本の経済は何年ぐらいのギャップがあるのか。私は少なくとも50年のギャップがあると見ている。技術的な差が少なくとも50年あるからだ。技術の差はすなわち経済の差である。技術レベルが追いつかなければ、使われるだけの身となることを免れることはできない。
日本の大企業が研究開発を重視していることは、日本の産業政策と関係を持っている。第二次大戦後、日本の自動車工業がスタートした頃には、技術を海外から導入するか自国で研究するかという議論があった。最後は、国家産業政策の支援の下、日本の自動車産業は自主発展の道を歩み、技術を重んじ、現在までいたっている。
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