元幹事長3人の率いる自民党議員百人余りによる両院議員総会の開催要求(事実上の辞任要求)から、声を落としてへりくだった麻生首相による公開謝罪、そして「造反派」のリーダーである中川秀直氏が「両院議員懇談会」で麻生首相と握手し談笑を演じた「挙党一致」の茶番劇まで、10数日間にわたって日本の政界は騒がしかった。だが結果的に、総選挙前夜の麻生降ろしの動きは失敗に終わった。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。〈文:在日シンガポール人学者・卓南生(龍谷大学教授、北京大学客員教授)〉
■自民党の長期政権維持の奥の手
公平に言えば、自民党の歴代首相の中で、退陣前夜に何一つ良い所がないと非難された指導者は、決して麻生氏が最初ではない。だが結果的には、自民党はいつも危機を乗り越えてきた。では、自民党は一体どのような奥の手によって、長期政権を維持してきたのだろうか。
簡単に言うと、冷戦期の保守合同で誕生した自民党は、1955年に政権に就いて以来、対外的には日米安保という日米同盟政策を堅持し、対内的には大企業の利益を優先し、官民が緊密に協力、さらには結託もする政策を推し進めてきた。「金権政治」は自民党、特にその大派閥に生れ備わった一大遺伝子と言うことができる。このため、金銭スキャンダル、あるいはこれに派生する、多くの民衆の憤りに満ちた行政措置や法令が、ほぼ各時期を貫いてきた。
では、民衆の絶え間ない不満、あるいは変化を望む時代の流れを、自民党はどのようにして和らげ、防ぎ止めることができるのだろうか。
自民党政権の歴史を詳細に調べると、この政党は、民衆の憤りを分散し、民意を誘導する2つの手法を持っていたことがわかる。1つは、党内各派閥リーダーが順番に総裁を務めるというゲームのルールを忠実に実行すること。もう1つは、問題を起した大派閥が、抽象派閥を含む他派閥から「意中の人」(その派閥のトップとは限らない)を代理人として物色してくることだ。両者に共通する目的は、自民党に「自浄」能力があることを有権者に示し、「人心一新」のイメージと幻想を作り上げ、新製品・新パッケージを好む日本の有権者(まさしく日本の消費者のように)の心理に迎合することだ。
だが、これら2つの奥の手が使い尽くされ、もはや人心をつなぎとめられなくなった時、「劇場型政治」の主役である小泉純一郎が声をからし、力を出し尽くして呼び売りしたのは「自民党をぶっ壊す」という膏薬だった。後に各方面はこれが偽薬だったことに気づき、しかも少なからぬ後遺症も残された(今日麻生氏が直面している民生上の多くの難題は、小泉時代の産物である)のだが、当時も支持率が低迷していた自民党は、これによって、瀕死の状態から生き返ったのである。