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日本代表団が旧日本軍の細菌戦跡を訪問
発信時間: 2009-10-16 | チャイナネット

矢口仁也さん率いる日本のABC企画委員会代表団一行10人は14日午前、浙江省の麗水市、雲和市、寧波市、金華市、義烏市などから来た40人の細菌戦被害者の代表とともに義烏市の旧日本軍細菌戦展覧館に集まり、細菌戦被害者の日本への賠償請求などについて率直に意見を交わした。

矢口仁也さん(右)

ABC企画委員会は、A(核兵器)、B(生物兵器)、C(化学兵器)の廃絶を目指す団体で、この代表団は8日から湖南省常徳市や浙江省衢州市などの細菌戦で被害を受けた地を訪ねている。義烏はそのうちでも重要な場所だ。

「旧日本軍の細菌戦による遭難同胞記念碑」の前で、旧日本軍の犯行を語る義烏市崇山村の村民

 

ABC企画委員会事務局長の三嶋静夫さんが義烏を訪れたのは今回で4回目。しかし悲しいことに長年一緒に頑張ってきた細菌戦で被害を受けた訴訟原告団の中国人が相次いで亡くなった。今年81歳になる三嶋さんは、できるだけ会議の様子を上手く記録するために、不安定な足取りで腰掛に上がり、カメラを高く持ち上げて撮影していた。

86歳の矢口仁也さんは「みなさんが提出したほんの少しのことも忠実に記録し、微力ながら力を尽くして日本の社会や国民に伝えます」と述べた。

1996年に義烏を訪問し、細菌戦被害者の国際訴訟を応援したことがある和田千代子さんは、以前に取材した崇山に住む细菌戦被害者の王麗君さんを思い出しながらこう語る。「10年が経ち義烏は大きく変化しましたが、被害者が正義を主張する行動を続けなければなりません」

麗水、雲和、寧波、金華、義烏の被害者代表は、代表団にそれぞれの地区の細菌戦の史料や書籍を手渡し、会議が終わるとABC企画委員会代表団は、林山寺にある崇山細菌戦跡や義烏市の「旧日本軍の細菌戦による遭難同胞記念碑」を見学した。

「チャイナネット」  2009年10月16日

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