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山崎宏さんは102歳の中日友好の使者 |
発信時間: 2009-11-18 | チャイナネット |
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総理大臣の慰問の手紙を山崎氏に渡す斎藤法雄総領事 山東省済南市の山東大廈では13日午前、在青島日本国総領館の斎藤法雄領事が一人の高齢の男性の前に立ち、慰問の手紙をゆっくりと広げて「尊敬する山崎宏さん、100年の誕生日を迎えられたことを心よりお祝い申し上げます」と読み上げた。その手紙には退任したばかりの前首相の麻生太郎氏の名前があった。そして手紙と一緒に銀のカップが贈られた。 山崎宏さんは普通のお年寄りではない。旧日本軍の一人として中国侵略戦争に参加し、戦争の残酷さにいたたまれず脱走。その後、中国の人たちの心の広さに心を打たれた山崎さんは、山東省の済南で結婚し、70年間住み続けてきた。そして医療と善行で罪を償い、和歌山市と済南市の友好都市の締結に貢献した。 今でも山崎さんは日本国籍で、毎年、日本政府から支払われる年金などがあるが、家はとても簡素だ。1台のカラーテレビのほかにりっぱな家具は見当たらない。唯一目立つのが居間に掛けてある「大道無門」と書かれた赤い額縁で、娘の山雍蘊さんはこれが中日友好の証拠の品だという。 中国と日本が国交正常化したあとの1980年代、山崎さんは久しぶりに故郷に帰った。そして歌山市と済南市の友好都市締結のために何度も両都市を往復して尽力した。赤い額縁に入っている「大道無門」の文字は、当時首相だった中曽根康弘氏からもらったものだ。和歌山市と済南市は1983年に正式に友好都市になった。 山雍蘊さんによると、山崎さんは口数が少なく趣味もほとんどなく、一番好きなのは医学書を読むことだそうだ。「以前は早朝に走っていました。80歳の時には太極拳を習っていましたが、今は高齢のため部屋で新聞を読んだり、テレビを見たりすることが多いです」 流暢な済南なまりを操る山崎さんは、地元のお年寄りと何の違いもない。3年前からは耳が遠くなり、話かける時は大きな声で話しかけなければならないだけだ。 80歳になった1987年に病院を定年してからは、あるコミュニティの診療所に招かれた。今でもそこで働いており、晴れでも雨が降っても毎日7時半に出勤し、10時半に家に戻る。人望が厚い山崎さんのもとには、2代、3代、或いは4代続けてやって来る家族もいる。 日本では100歳になったお年寄りには毎年、総理大臣が自らサインした慰問の手紙を送り、お祝いの記念品を贈ることになっている。斎藤総領事によると、100歳以上の人で海外に滞在している日本人は70人以上いるが、中国の大陸部には山崎さん一人しかいないという。 「チャイナネット」 2009年11月18日 |
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