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日本観察記(5) 納豆について
発信時間: 2010-01-21 | チャイナネット

文=薩蘇

「中国人は脚のあるものは、イス以外、何でも食べる」という言い方がある。これはジョークだが、中国の食材の多様性を物語る。それに比べ、日本の食材は、多少シンプルである。ゆえに、中日交流のなかでは、中国側が勧める美味──例えばローストしたガチョウの頭やトンソクの煮込み──に日本人が手を出さない、というケースが見られる。

けれど、中国人が日本において、丁重なお礼のうえで辞退するものもある。

それは、納豆である。

最初に納豆について耳にした時は、好奇心が沸いたうえ、癒された。

そこは、日本のスーパーであり、大豆を原料とする豆製品は比較的少なかった。特に各種豆製品を好む筆者としては、日本にも独特の豆製品があると聞き、喜びを覚えた。

一部の人は、このような記述に不満を覚えるだろう。日本には、例えば豆腐にしても、木綿豆腐、絹漉し豆腐、玉子豆腐・・・・・・とあり、種類は決して少なくないと。中国と日本は、豆製品において、同盟軍であり、私たちの市場でも、各種の豆腐を見ることができる。欧米人の豆腐に対する態度はまったく違い、私の知る多くの欧米人は、豆腐を忌み嫌う。イスラエル人は男性機能に影響を及ぼすので豆腐を禁止している、とまで聞いたことがある。

まったく道理の通らないものである。日本の1億2000万人の人口、中国のその10倍の人口、この2つ、豆腐をもっとも多く食べる国において、どうみても男性たちが影響を受けているとは思われない。豆腐が男性に害があるとみなすとは、まったく気の毒な外国人たちである。

けれど、日本の豆製品が豊富とはいえ、中国と比べると多少、少ない。日本と同じような種類のほか、中国人は、大豆タンパクで、「素鶏」「素鴨」「素肉」「素魚」「素火腿(ハム)」といった、美味しく、また本物にそっくりのものを作り出す。

両国とも豆腐を食べるのに、中国の豆製品のほうが種類がより多いのは、なぜだろうか?ある面白い解釈は、中日の仏教流派の違いによるというものである。日本の仏教は流派が多く、上座部仏教がすこぶる地位が高く、中国の仏教は主に大乗仏教である。大乗仏教は僧侶への戒律が厳しく、肉などのなまぐさものの食を禁じる。この状況下、中国の僧侶たちは美味な素材を作り出し食事を改善するしかなく、大豆は彼らが常に使う材料の一つだった。多くの豆製品は、仏教寺院のなかで作り出されたものである。

大豆グルメともいえる中国人として、筆者は納豆に好奇心だけでなく、ワクワクと試食したくなった。納豆は発酵製品で、独特のにおいがあるから、きっと食べられないよ、と友人は忠告した。けれど中国にだって、「醤豆腐」「臭豆腐」といった豆腐を発酵させたものがあり、奇妙なにおいがある。我々中国人だって喜んで食べているのに、納豆を恐れる必要があるだろうか?私は、自信満々だった。

けれど、納豆を食べてみたら、どうしてもダメだった。粘りのある白い糸、生活ゴミに似たにおい、口のなかに入れるのに、本当に勇気が必要だった。

こうして私は、納豆に負けたのである。

この件を日本の友人に伝えると、善意のこもったからかいが少なくなかった。君たち中国人でも、食べられない日本料理があるんだね、と。

妻は常に私に納豆を食べるように勧め、それは体によい作用があるという。けれど私は断固、拒否していた。ある日、日本に来たばかりの中国の調理師の友人が家に遊びにきて、私たちの争いを聞きつけ、納豆とは何か?と聞いた。

私は納豆を持ってきて彼に見せた。彼はうなずいて、大丈夫だ、私が処理すれば、食べられるよ、と言う。

しばらくして、友人は、納豆を食卓に運んできた。見ると、納豆の形はすでに変わり、白い雪のなかに横たわり、鼻をつくにおいも爽やかなものになっている。一口試してみると、爽やかな香り、おいしそうな様子とはいえ、依然として納豆の独特の風味を残している。  この時から、私は毎日1パックの納豆を食べるようになった。妻が買い忘れることがあると、恋しくなるほどである。

友人は、いったいどんな魔法を施したのだろうか?

それはまったく簡単な方法で、日本人が納豆を食べる時と同じように調味料とからしを入れたほか、ショウガとネギのせん切りをいれ、さらにレモン汁をいれ、勢いよく箸でかき回す。数分後、納豆の形態と味に変化がうまれ、中国人の口にあうものになる。私の日本の友達は、このような納豆の食べ方に驚く。彼らはやはり、もとのままの納豆が好きなようだ。

どうしてこのように処理したのかについて、友人は彼のセオリーを教えてくれた。日本の料理は、ほとんど調味料を使わず、素材の持つ味を追求する。中国料理は、調味料の助けにより、素材から我々の好む味を際立たせ、好まない味を消してしまう。納豆の味はかび臭く、ショウガの味はフレッシュである。納豆の味はにごりがあり、レモンの味は透き通り、異味を消す。またネギを入れるのは、ネギは雪のように白く、黄褐色の納豆の「性」と相反であり、単調さに変化をもたらす・・・・・・。

かの友人は、「中国医学では、生薬を配合するときに『君、臣、佐、使』の相互補完を重視する。実際のところ、中国料理もおなじことで、どのような料理であれ、矛盾する味のなかで形成されるのだ」と得意げにまくしたてた。この時、私は耐え切れなくなって話をさえぎり、「我々は、納豆の話をしているのか、それとも哲学か、兵法の話でもしているのか、君は分かっているのか?」

薪わり、水汲みも、修行である。中国料理が中国哲学を内包するからといって、驚くことがあるだろうか?

「人民中国インターネット版」より 2010年1月21日

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