浅田次郎氏 西太后は悪女でなく、血の通った女性だった。
現在、中日両国で放送中の連続ドラマ「蒼穹の昴」は世の中に大きな反響を呼んでいる。劇中の西太后のイメージと、中国人がもともと抱いていた凶悪で残忍な女性は全く違うからだ。最近、この作品の作家である浅田次郎さんは取材を受け、彼の思う西太后のイメージについて詳細に語った。
浅田氏は、中国の歴史が大好きで、それぞれの王朝に独自の個性が感じられるという。これに対し、日本の王朝は唯一つ、「天皇の一系譜」による呼称のみで何の変化もなく、よって個性もない。中国の歴史は波乱に飛んで壮大であり、個性が濃く、特に満族清王朝の時代が好きだという。
中国人の西太后に対する見方は偏狭すぎる
「政治家の冷酷無情は世の常で、西太后が策略をめぐらし、冷酷無情であったのは、多くの場合そうせざるを得なかったからだと思います。西太后と中国歴代王朝の皇帝と比較しても、彼女のやり方が他の皇帝に比べ、より残忍ということはない。有名な珍妃を責めたて、井戸に投げ入れたという話もほとんどが伝説です。私が思うに、西太后という人は珍妃を憎んで死なせたわけではない。西太后自身は非常に保守的な女性で、自分の夫や子供が政治的にたいした活躍をできなかったので、仕方なく自分がすだれの向こうで政治を行った。実際に、彼女は女性が政治に参加するのをとても嫌がっています。珍妃は西洋的な考えを少なからず持っていた人で、光緒帝と一緒に百日維新を行おうとしました。こうしたことが、まさしく彼女は我慢ならなかったのでしょう。西太后が珍妃を嫌い、憎んでいたとすれば、原因はここにあったと思うのです。」と浅田氏は語る。
「清朝政権は、実際はアヘン戦争の終結後、滅んでいます。アヘン戦争が始まってから、紫禁城は何度も攻められています。第二次アヘン戦争の時もそうでしたし、義和団運動の時も最高統治者はみな紫禁城から逃げ出しました。ある意味から言えば、紫禁城は占領され、すでに攻略されており、清朝はすでに終わっていたのです。それなのに、清王朝は不平等条約を一つ一つ結びながら、王朝を維持し続けました。本来ならばもっと早期に滅んでいた王朝でしたが、西太后は30年以上王朝を保たせました。これは凡庸な皇帝にはまねできないことです。実に、中国新王朝末期に西太后のような人物が現れたということは、不思議な話です。」
西太后が悪女になったのはどこからか?20世紀初頭に出版されたイギリス人作家 エドモンド=バックハウスの著作「西太后治下の中国」を読んで、浅田氏は西太后の伝説は中国人が書いたものではなく、イギリス人が作ったのだと知った。イギリス人がこのような本を書いた目的こそ、清王朝の崩壊だった。西太后はイギリス人が書いたほど悪女ではなく、正常な女性の温かさを持った、賢明で偉大な女性だったのだ。