文=薩蘇
日本では、美人の里といえば、どこになるのだろうか?
こと美人になると、私は適当なことはいえない。それは日本ですでに評定されたものであり、日本の政治家が胸中、恥ずかしく思うであろうことに、連続して首相を輩出している群馬県は下位であり、それは、整った顔立ちでないことは、男性が事業に専心するにあたり有利だ、ということなのかもしれない。
評定では、秋田、福岡、神戸が上位であるが、第一位はこれらの地方ではなく、東京である。けれど、東京都知事の石原慎太郎のイメージを思うと、この結果は、最初、なんとなく信じられなかった。けれど、後になってこれは筋が通っていると思うようになった。中国の全国民が北京で住宅を購入するのと同様に、日本全国の美女が東京にチャンスを求めて集まってくる、というのはいわずと知れた道理であり、知事の顔立ちとはまったく関係がないのである。
幾つかの美人の里には、それぞれ独特の原因がある。秋田は古くから美人を輩出する土地である。それはおそらくDNAの理由であろう。そして福岡と神戸は混血と関係がある。福岡は、日本の伝統的な南の玄関口であり、海流の関係により、大陸から訪れた船は多くは、まずこの地に到着する。そのため、次第に「渡来人」の居住地となった。日本近代史における神戸の存在は、我が国の広州に似ており、一度は日本で唯一の通商港となり、自然と多くの民族の交わるところとなった。異なる民族の融合は、この二つの都市に新鮮な血液をもたらし、美人が生まれる基礎ともなった。けれど、混血の源が違うので、二つの都市の美人の風格は違いがあり、福岡の美人は、より大陸の容貌であり、神戸の美人は、ほの暗い灯りのもとで眺めれば、ギリシャ式の鼻梁、オランダのまつげと、ヨーロッパ大陸の味わいが時に見られる。
同じ質問を中国人にすれば、その答えは実にさまざまである。中国人の多くは、故郷への思いが強く、面子を重んじるので、自分の故郷の女性にえこひいきするのはやむを得ない。中国では誰も昔からこのような評定をせず、どこの女性がきれいだとも言わない。そのような評定は、面子を重んじる中国人をして大戦争を引き起こさせるだろう。
けれど、大学生だったころ、同級生たちと評定を試みたことがある。日本の美人の里に対し、こちらにもほぼ、対応するものがあった。私は権威ではないが、笑い話の一つとして、ご紹介したい。
中国の美人がもっとも多い都市は、北京と上海である。東京と同じく、全国の精鋭が飲み込まれた結果である。しかも、2つの都市は違いがある。北京は中国の政治の中心であるため、女性の多くは優雅であり、上海は海外文化の影響を比較的長く受けているため、女性はより西洋風である。けれど、両都市の美女はどちらも「ご当地産」とは言いがたい。北京人、上海人とも誰かにその三代前を聞いてみると、両都市の生まれであることは極めて少ない。
中国で昔からの美人の里として、蘇州は典型である。蘇州は古代より美女の産地で、秋田と似ており、おそらくDNAの関係と思われる。よく考えてみると、当地の気候、水などが作用しているのだろう。蘇州は水郷といわれ、気候は温暖湿潤であり、たぶん恐竜でも、この地では、肌がみずみずしいことだろう。秋田は米の産地であり、水と土がよくなければ、米の質もよくないだろう。水と土が人を養うこと、それは秋田と蘇州だろう。けれど、人によっては、蘇州の美人は、その土地の言葉に依る、という人もいる。蘇州の人の言葉は、「呉の国の柔語」といわれ、音が柔らかく、親しみやすい。蘇州の女性を娶ったある男性が私に語ったところでは、最初は、女友達の言葉にうっとりしたそうで、容貌はその次だったそうだ。この話は私に、フランス人と結婚後、離婚したある女性を思い起こさせた。結婚後、二人はフランスを離れたのだが、妻は自分が愛したのがこのフランス人でなくて、シャンゼリゼ大通りだったと気がついたのだった。
幸いにも、蘇州の女性の柔らかく甘い美声はどこへでも連れていけるが、シャンゼリゼ大通りは、そういうわけにいかない。
大連も、中国の有名な美人の街である。この街の女性は、容貌秀麗なだけでなく、背がすらりと高く、目を引く。その原因はおそらく福岡である─大連は中国と韓国、日本など北東アジア地域の伝統的な航路の起点であり、また当時の南部の中国人が海を渡って東北地方に移住する際の最初の通過点だった。
中国のもうひとつの美人の産地は、すなわち新彊である。「達坂城の女の子はおさげが長く、ふたつの瞳はほんとうにきれい、お嫁にいくなら別の人のところに行かず、僕のところにおいで」という有名な歌の意味するのは、新彊の女性の美貌である。新彊の女性の美貌は、神戸と同じく、多くの人種が交わる場所であったことと大きな関係がある。美人の集まる場所として名高い達坂城は、新彊南部と新彊北部の間に位置する交通の要所である。
中日には多くの違いがあるが、中国では政治家を輩出する土地として名高い湖南は、また美人の里である。ただ当地の女性たちの多くは美人でまた精悍であり、戦時には、横たわる夫を馬上で抱え、両手に槍をもち、包囲を突破した故事が残っている。このような美人に鞭撻されることが、男性の成功の大きな秘訣であろう。
薩蘇
2000年より日本を拠点とし、アメリカ企業の日本分社でITプログラミングプロジェクトのマネジャーを務める。妻は日本人。2005年、新浪にブログを開設、中国人、日本人、およびその間の見過ごされがちな差異、あるいは相似、歴史的な記憶などについて語る。書籍作品は、中国国内で高い人気を誇る。文学、歴史を愛するITプログラマーからベストセラー作家という転身ぶりが話題。
「人民中国インターネット版」より 2010年5月7日