1年の長い月日を待ち続けた中国大陸の村上春樹のファンたちは、今年5月にやっと簡体字版の翻訳『1Q84』を手にした。出版側は今回、いつも村上春樹の著作を翻訳している林少華さんを起用しなかったことから、『1Q84』を翻訳した施小煒さんのプレッシャーは相当なものだっただろう。それに対して施小煒は「100人の翻訳者がいれば100通りの翻訳があり、100通りの翻訳はそれが存在する理由がある」と話す。
『廈門商報』は出版元の南海出版社を通じて施小煒さんにメールを送った。施小煒さんはすぐに返事をくれたが、写真撮影は「貴社の販売に影響してはいけない」と、婉曲にユーモアを交えて断ってきた。
――『1Q84』の翻訳過程について。
施小煒:先に一度読んでから翻訳を始めた。だが次からはこういう風にしないほうがいいと思った。それは読んだあとに翻訳するため、読む楽しみがかなり減ってしまったようだ。
――『1Q84』とジョージ・オーウェルの『1984』はどんな関係があると考えているか。
施小煒:梁文道さんも言ったことがあるが、『1Q84』と『1984』は共に1984年のことを書いている。『1984』は、1984年はどんな様子だろうかという想像の未来で、村上春樹が書いているのは過去のことだ。村上春樹にとって1984年はすでに過ぎ去っている。
『1Q84』とオーウェルの『1984』を比べると、"ビッグ・ブラザー"(Big Brother)と"リトル・ピープル”(Little People)の比較のようで、"ビッグ・ブラザー"は一種の写実主義、"リトル・ピープル”は超現実、超自然、超日常のイメージで造形している。例えば子供が山羊の死体から出てくるという場面があるが、これは日常ではありえない。オーウェルの小説と比べて表現の手法は明らかに同じだ。