――一通り読んだが、今回は以前のようにジャズの名前や複雑で手の込んだ料理が出てこず、あるクラシックや簡単な野菜の料理に取って代わっている。これは村上春樹の変化なのか。どうしてこのように変化したのか。
施小煒:ここで言うジャズは、欧米の通俗的な流行音楽を指しているのだと推測するが、それは例えばジャズ・ロックの類で、あるクラシックというのは、レオシュ・ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』のことだと思う。
この作品は、もしかしたら以前の作品ほど頻繁には出てこない。しかし『1Q84』の中にも、少なからずジャズマンや作品の名前は出てくる。
食べ物の描写の変化は、たぶん登場人物を造形する上で必要だからだろう。天吾と青豆はともに独身で、一番簡単な料理を自分で作って食べるだけ。しかし天吾(川奈 天吾)とふかえり(深田絵里子)、青豆(青豆雅美)と女主人(老婦人)、あるいはあゆみ(中野あゆみ)が外で食事をする場面では、やはりフランス料理やイタリア料理の名前が出てくる。
日本人の生活にはかなり前から西洋料理が入り込んでおり、主婦はもちろんのこと、普通の独身の男女もスパゲティなどを作ることができる。
――村上春樹の作品の中で何が一番好きか。またそれはどうしてか。
施小煒:『1Q84』が一番好きだ。それまで村上春樹のほとんどの作品は私小説だと思っていた。この作品で村上春樹は、私小説と大衆文学を合わせることに成功し、さらに人や社会への関心を表現している。
私小説は時代や社会が個人に影響し、大衆文学は個人の行為が社会や時代に影響する。
平易通俗で具体的な実例による説明は、さらに直接的で理解しやすいだろう。中国のテレビドラマで例えると、『蜗居(陋屋)』(住宅問題をめぐり都市の若者の感情を描いた物語)は前者で、『人間正道是滄桑(移り変わりこそ人の世)』(1925年以降の移り変わる時代の中で、国民党の兄と共産党員の弟、そして姉という兄弟の運命を描いた物語)は後者にあたるだろう。
もしかしたら村上春樹の小説の方法は、大学紛争→思想運動→新興宗教という、自分自身が経験した戦後の日本の思想史の変化の筋道を考えなおし、自分の思索をみんなに受け入れられるよう読み応えのある文章にしているといっていいかもしれない。