日本観察記(17)追いつけない北京

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発信時間: 2010-06-23 17:04:09 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

文=薩蘇

一月前、北京に戻った。この街ではもう30年も過ごしていて、しかもほんの2,3カ月不在だっただけなのに、外出時には慎重にならざるを得ない。街の道路、建築の変化は大きすぎ、経験にたよって歩いてみると、記憶のなかでは横丁だった場所が巨大なビルにふさがれていたり、あるいは、立体交差橋の上で、反対側に渡るには、飛び降りる以外、方法がないことが分かったりする。

当然のことながら、飛び降りるわけにはいかない。北京の立体交差橋は東京と同じく、スーパーマンの能力でもなければ、転落死はまぬがれない。北京の立体交差橋が実にさまざまであることを怨まざるを得ない。数年前、ある日本人が西直門の立体交差橋の上で3時間たっても降りる方向を探しあてることができず警察の助けを求めた、という話を聞いたことがある。はるばる帰国した私がどうして警察に迷惑をかけられようか?

私の意見は、日本と中国の文化の違いを体現していると思う。日本人の考え方はお互いに似ていて、違う考えをする人間は特別視される。ゆえに一人の日本人にどう思うかを聞けば、残りの99人の考え方は推測できる。けれど中国人の考え方はそれぞれかなり違い、しかもそういう事態に慣れている。ゆえに99人の中国人にどう思うかを聞いても、次の100人目の中国人の考え方は分からない。このような文化の違いは、立体交差橋の建設にも現れている。日本の立体交差橋は、交通上の必要のためにのみ建設されるもので、その様子はよく似ているが、中国の立体交差橋は交通の必要を満たすのはもちろん、中国人のさまざまな考え方をも体現している。ゆえに、中国の立体交差橋は、同じものが少ない。もちろんそれは美しく、退屈ではないが、ドライバーにとっては心躍る、というものではない。

立体交差橋の上で行くべき道が見つからないと、自分が北京に取り残された気持ちになる。日本から戻った2人の北京人の友達に会ったところ、彼らも同じ思いだった。

私たち3人は日本での生活がすでに10年を越え、北京のあるテレビ局が我々をある番組に招き、中国の視聴者に対し、真実の日本について語らせようとしたことがある。

このような話題は全員が興味あるものであり、私たちは楽しく話し合った。

けれど、番組がもうすぐ終わろうとするころ、若く美しい女性キャスターがあふれる善意と同情をこめて「本日いらしたみなさんは、日本で辛い仕事をし、故郷の言葉もきけず、淋しく、疲れたことでしょう。それほど苦労なさって戻られたのですから、北京ダックなど美味しいものを食べて、どうぞよく休んでください」と発言した。

その瞬間、私たちは愕然とした。このキャスターの言い方では、日本はひどい環境の旧社会のようではないか? 私たちはお互いの顔をながめて慌てて話を継ぎ、キャスターに間違えないように、と言った。日本は中国人のとても多い場所で、電車のなかでは頻繁に中国語を聞く。毎日、Eメールや動画サイトを見れば、中国国内にいるのとなんら変らず、淋しいとはいえない。苦労は確かにあるが、合理的なものであり、最終的には報酬と仕事の成果は正比例している。疲れ? 長年過ごしているが特別に疲れは感じることはなく、逆に中国国内の多くの会社のほうが日本より疲れる......総じていえば、日本の生活はもし一芸に秀でていればとても愉快である。

このように語ると、キャスターはうなずき、謝った。日本での仕事は、日々、ぜんまいを巻かれるような大変さだろうと思っていたのですが、今日、自分の間違いが分かりました。お詫びします、と彼女。

雰囲気は穏やかになり、番組は無事、終了した。スタジオを出て、我々三人はまた話し合いを始め、キャスターの最後の言葉がずっとひっかかっていた。

そのうち、一人がはっとした様子で、「彼女が間違っていない、我々が間違っている」と言う。

なぜ、我々が間違っている?もう一人の友人は知りたがった。

「もちろん我々のほうが間違っている。我々は、中国の人々は海外で暮らす人間を常に羨んでいると思っているので、そんなにいい生活をしていないと言われると驚いてしまう。十年前だったら我々のそういう考え方は間違いではなかった。国内の収入と外国のそれは大きな差があり、発展するチャンスも外国のほうが多かった。けれど、今は、もし技術があれば、中国で日本とそれほど収入のかわらない仕事を見つけるのは難しくなく、発展のチャンスも中国にも多く、そうなると人が我々を羨む必要なんてない。中国の人々の考え方が変ったのに、我々が反応できていないのだ」

そうだろうか? よく考えてみると彼の正しさが分かる。中国の発展は速すぎ、この国を離れて久しくなると、一つの都市についていけなくなるだけでなく、中国人の考え方にさえ、ついていけなくなるのだ。

薩蘇

2000年より日本を拠点とし、アメリカ企業の日本分社でITプログラミングプロジェクトのマネジャーを務める。妻は日本人。2005年、新浪にブログを開設、中国人、日本人、およびその間の見過ごされがちな差異、あるいは相似、歴史的な記憶などについて語る。書籍作品は、中国国内で高い人気を誇る。文学、歴史を愛するITプログラマーからベストセラー作家という転身ぶりが話題。

「人民中国インターネット版より」

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