上海万博への思いが募ってきたのはいつ頃からですか?
2005年愛知万博就業中に、「世界中のいろんな国から来た仲間と、こうして一つの場所で出会える万博ってすごい!」と働けば働くほど思ったので、「もう一度そういう体験したい」との思いは募っていました。
万博が終わってからは、別の仕事に就きましたが、中国で働くなら中国語をマスターしないといけないなと言う思いがあっても、日々の業務に追われなかなか勉強を開始することが出来ませんでした。2008年北京オリンピックの話題で持ちきりになってようやく近所のカルチャースクールでおじいちゃんおばあちゃん達と中国語学習の第一歩を踏んだのですが、ピンインが難しくて「この言語は私には向いていないかもしれない」と挫折してしまいそうでした。そんな折、あるインターネット広告で社会人のための留学の奨学金制度があるのを知り、これはチャンスだと思いすぐ応募をし、面接では「まずは万博で世界の人と中国の人との交流をして、日中の架け橋になりたい!」と熱意を語り、筆記試験もあったのですが奇跡的に合格し、2009年2月に上海へ来ました。
上海に来てから上海万博にかかわるまでは順調でしたか?
留学の2学期目に、各館アテンダントの募集が始まり、応募をしたのですが全て上手くはいきませんでした。そのため、2学期の修了後に帰国も考えましたが、どうしても万博就業の夢が諦めきれず、上海での就職活動を開始。ある人材会社から万博で働く人材を探していると聞き、現在就業中の会社を紹介してもらいました。この行動は友達から「執念だね」と言われますが、「万博で働きたい」との一心だったので、その通り、執念だと思います。
上海万博では毎日行われるパレードを担当されているそうですが。
準備期間中は、このパレードプロジェクトのために採用した各種スタッフの管理や、パレードの主役となるキャストの管理などを行っていました。現在はパレード運営統括本部で、施設、備品、情報整理など、会社組織で言う総務のような業務をしています。
この2010年上海万博パレードは「世界の微笑を携えて、都市の未来を歌う」をテーマとしています。パレードは3種類あり、浦東1号線は世界五大陸をイメージしたフロートとキャストがそれぞれユニットに分かれ、各大陸に合わせた音楽でダンスをし、夕方と夜の2回開催されます。浦東2号線は、中国国内の省市区や海外からの参加団体など日替わりで各地・各団体特色のあるパレードが毎日1回開催されます。浦西線は未来をイメージしたフロートや音楽で、キャストも未来からやってきたような衣装で夕方と夜の2回開催されます。野外でのイベントのため天候に左右されてしまいますが、184日間毎日、浦東会場と浦西会場両方で行われます。
2010.4.30万博開幕セレモニーを浦西基地から撮影 黄浦江にかかる盧浦橋のムービングライトと花火
日々どういう気持ちで仕事に取り組んでいらっしゃいますか?
愛知万博の時にもパレードがありましたが、それを見たお客さんがファンのサイトを作ったり、パレードを見るために足繁く万博会場を訪れるほど人気となっていました。日本のテーマパークでもパレードはテーマパークには欠かせない一つの要素です。上海万博パレードも万博には欠かせないイベントの一つで、それを見たお客さんが少しでもハッピーになれたらいいなと思っています。そのハッピーを届けるキャストとそれを支える多くのスタッフが気持ちよく仕事をしてもらえるように影で支えるのが私の仕事なので、気配りや気遣いができるようにと心がけています。
全員が一つとなってこのパレードという大きなプロジェクトを動かしています。パレードプロジェクトチームには各方面のトップの方々が参加しましたが、運営やキャストは全て現地のスタッフです。私自身も万博は体験したことはあっても、イベントの運営側については全くの素人。さらに、日本と中国から多数のスタッフが集まって進めるプロジェクトに参加するのも初めてなので、分からないことがあった時には遠慮なく質問したり、いろんな人から何かを学べるようにという気持ちで仕事をしています。また、一年しか勉強をしていない中国語を使ってコミュニケーションをとることもあるので、伝わる中国語を使えるように、中国人スタッフの言い回しをメモにとって練習したり、とにかく日々が勉強です。
そして、何よりも「絶対に無事故」で終われるようにと、毎日気を引き締めています。
パレードプロジェクトチームのスタッフと