日本内閣府がこのほど発表した上半期・第2四半期経済データによると、中国はGDP総量で日本を追い越し、世界第2の経済大国となることが確実となった。ただし、中国がGDPで日本を追い越したのは初めてのことではなく、今回が3回目となる。「羊城晩報」が伝えた。
古代から清代末にかけて東アジアで傑出した国家であった中国は、GDP世界トップを占有、日本との差は3千年以上あった。日清戦争時でさえ清国のGDPは、日本の数倍だった。これが、GDPで中国が日本をリードした第一回目だった。
中国のGDPはその後、欧米列強の侵入、軍閥混戦、社会の困窮化に伴い、下がり続けた。五・四運動が起こった1919年頃、日本のGDPが初めて中国を上回り、過去1千年の立ち遅れが逆転した。
第2次世界大戦で日本経済が受けた痛手は、中国よりはるかに大きかった。1949年の新中国設立当初、混乱状態にあった中国のGDPは、意外にも日本の2倍相当だった。この事実から、第2次大戦で被った日本経済のダメージの大きさを推し量ることができる。これが、GDPで中国が日本をリードした2回目だった。
第2次世界大戦が終わり、日本は廃墟から全世界に向け、「ゼロからの再生」劇を演じることになる。
1960年の時点で、日本のGDPは中国と同レベルだった。ゴールドマン・サックスの統計データによると、1960年代、日本のGDPの年平均成長率は10.4%、1966年にフランスを、1967年英国を、1968年にはドイツをそれぞれ追い抜き、米・ソ超大国に次ぐ世界第3位に躍進、先進国の仲間入りを果たした。日本経済の最盛期、中国の経済規模は日本の11.7%にとどまっていた。
1978年に3645億元だった中国のGDPは、2008年に30兆670億元に激増した。この30年間、国民経済は年平均9.8%という成長スピードで伸び続け、2006年に英国を、2007年にドイツをそれぞれ追い抜き、世界第3位に躍進した。
経済基数が次第に大きくなるに伴い、成長率は自然と鈍化する。日本の成長率は、1970年代5%、80年代4%、90年代には1.8%に下がった。今世紀に入り、成長スピードはさらに減速している。2009年、中国経済の成長率は約10%、日本は3%に達していない。中国の2009年名目GDPは4兆9800億ドル、日本は5兆700億ドル。
今年に入ると、中国経済が日本を上回ることは確実となった。日本内閣府も、「2010年に経済成長の著しい中国がGDPで日本を追い抜くことはほぼ間違いない」と認めている。
また、多くの具体的経済分野で、中国はとっくに日本を追い抜き世界第2位、もしくは世界トップに立っている。とはいえ、中日両国経済の具体的状況に、まだまだ大きな隔たりがあることは、誰もが認めるところだ。2009年国民1人当たり平均所得は、日本が3万7870ドル、中国はわずか3800ドル、米国は4万2240ドルだった。
米国のアジア問題専門家は、一般庶民にとって、国民1人当たりのGDPの方が国家全体のGDPより重要だと指摘する。
2009年12月24日に発表された「国際情勢白書」では、11カ国の総合国力に対する評価・分析が行われた。これによると、総合国力で日本は世界第2位、中国は第7位と、GDPの差よりさらに隔たりがある。これと同様、中国は様々な分野でまだまだ日本に遅れを取っている。
GDPで世界3位に転落したと言っても、日本人は依然、最も豊かな国民のひとつであり、「アジアのスイス」としての地位はゆるぎない。ウオークマンや新エネルギー自動車などが日本で誕生し、日本の就学率は99%に達し、平均寿命83歳も世界トップを誇る。東京にあるミシュラン星付きレストランの数はパリを上回る。
中国のGDPは日清戦争時に日本を上回っていたが、それでもやはり立ち遅れたという事実は変わらない。GDPは量的な観点からだけではなく、質的な観点からも見なければならない。GDPそのものを見ると同時に、その他の様々な分野も見た上で、この数値が社会と国家の成功を反映する基準となっているかどうかを判断する必要がある。(文:王錦思)
「人民網日本語版」2010年9月1日